「向日葵が咲く丘の上で。」

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ふっと目を開けると、自分のベッドで眠っていた。 どうやって此処まで戻ってきたのだろう。 あれは夢だったんじゃないか、そう思ってしまう程にいつもと何ら変わらない朝だ。 けれど、未だ耳の奥で鳴り響く機械の音が現実を主張してくる。 「っは..ッぁ..」 両耳をキツく塞いでみても、鳴り止んではくれなくて。 だんだんと息が苦しくなっていき、小さく身体を丸めた。 なんで、どうして、そんなことばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡る。 この世から朔を連れ去ってしまった神様なんて大っ嫌いだ。 「う、ぐ..っおえぇ..!」 どれくらいの間こうしていたのか、朝食の配膳に来た看護師に名前を呼ばれて正気に戻った。 支えられるがまま起き上がり、目の前に用意された食事に目線を落とす。 そうした途端、胃の中の物が迫り上がってくるような感覚に襲われた。 咄嗟に口元を覆ったものの、指の隙間からポタポタと吐瀉物が溢れて布団を汚していく。 「はぁ..っは..」 乱れた呼吸をそのままに、呆然と看護師の方へ顔を向けた。 何か言われているけれど、内容が頭に入ってこない。 脱水症状を起こしていて、視界がグラグラと揺れている。 それが更に気分の悪さを高まらせ、ふらりと後ろへ身体が傾いたところで意識は途絶えた。 どのくらい眠っていたのか、目を覚ますと食事の匂いが鼻を掠めた。 今朝を思い出させる胃がひっくり返るような感覚に、さーっと血の気が引いていく。 もう吐く物なんてないのに、中途半端に起き上がった状態のまま何度も嘔吐いてしまう。 やっとの思いで押したナースコールを聞き付けてやってきた医者は、死を目の当たりにしたことが精神的なストレスになり、食べ物を受け付けなくなっているのだろう、と同情するようにそう告げた。 「ちゃんと食べるから、食べられるから、朔のせいみたいに言わないで..っ」 背をさする医者の手を払い除け、気付けば声を荒げて叫んでいた。 それによって、更に周囲の眼差しは憐れみを増していく。 自分が弱いばかりに、朔を悪者にしてしまったことがショックだった。 何てことのない在り来たりな会話で笑い合えた、あの日々を返してよ。 現実から逃れるように布団の中へ潜り込み、ガタガタと震える身体を小さく縮こまらせた。 勢いであんな宣言をしてしまったけれど、簡単に食べられるようになるはずもなく。 それどころか、他人の食事の匂いで嘔吐してしまう始末で。 連絡を受けた両親の配慮から、急遽個室へ移動になった。 食べ物が喉を通らないのなら、点滴で栄養を補給しようかと提案されたけれど、俺は頑なに要らないと言って拒否した。 生きることへの執着心みたいなものが、まるで無くなってしまったから。 一日中ベッドに横たわったまま、誰とも言葉を交わさず、朔を想っては哭いて。 不安定な心は今まで以上に失った脚を意識するようになり、頻繁に幻肢痛を起こした。 同時に眠りも浅くなって、隈は次第に濃くなっていく。 こうして日に日に疲弊し窶れた身体は、一ヶ月もしないうちに限界を迎えた。 体温調節機能が弱まり、いくら部屋の温度を上げても震えが治まらない。 季節はまだ、秋になったばかりだというのに。 「..あ、れ..」 ある日の晩、枕元の灯りを頼りに朔の絵を見ていた。 初めて病室へ来てくれた日に、こっそり描いたものだ。 まさか恋人同士になるとは、当初は考えもしなかった。 思い返して口角を微かに緩めた瞬間、急に目の前がぐにゃりと歪んで暗闇に呑まれていく。 咄嗟に離してしまった絵はヒラリと宙を舞い、音もなく床へと落ちる。 もう記憶を辿ることも許されないのか、曖昧な意識の中で俺は絶望に打ちひしがれたのだった。
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