花葬

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あの日と同じ、雨の降る日曜日。 何年も前に終わりを迎えた彼と再会して、また昔のように笑い合う夢を見た。 「...はは、馬鹿みたい。」 自嘲的に笑いながら、ため息まじりの言葉を零す。 出逢ってから別れるまでたったの三ヶ月間で、考えてみれば僕は彼のことを何も知らなかったように思う。 着信を拒否されてしまえば、二度と逢うことの出来ない関係だったのだ。 あまりに唐突で呆気ない別れに、行き場を失くした想いだけが残された。 忘れようとすればするほど記憶は鮮明に蘇り、思い出に押し潰されて窒息してしまいそうになる。 憂鬱な気分を断ち切るように顔を洗い、出掛ける支度を始めた。 今日は恋人と図書館に、大学の課題の資料を探しに行く約束をしている。 講義が同じだった棗に一年生の後半に告白され付き合うことを決めてから、気付けばもう二年の月日が経つ。 寂しさを紛らわせるのに丁度良い存在、としか最初は思っていなかった。 けれどいつしか棗の隣に、居心地の良さを感じるようになっていた。 「おはよう!」 「ん、おはよう。」 インターホンが鳴りドアを開けると、いつもと変わらない姿があって少し安心した。 差し出された手を握り、一本の傘の中を寄り添って歩く。 デートみたいだな、なんて嬉しそうに棗が笑うから釣られて微笑んだ。 他愛のない会話をしているうちに目的地に着き、終了時刻を決めてから、それぞれ別々の場所へと資料を探しに向かう。 「..ぐ..ッ」 暫く書棚を見て回っていると、今朝の夢のせいか彼が好きだった本に目が留まった。 その刹那、心臓を抉られるような感覚に襲われ、その場に倒れ込んでしまう。 「どうした、大丈夫か!?」 「..苦し..ッい..」 「誰か..っ誰か救急車..!」 「..くっ..は..」 資料を探していた場所から僕の姿が見えたようで、急いで駆け寄ってきた棗によって、そっと抱き起こされる。 ひどく慌てた様子で何かを叫んでいるが、上手く聞き取ることが出来ない。 縋るように頬に触れたところで、意識は完全に途絶えた。 「ん..」 目を覚ますと、病院のベッドで横になっていた。 消毒液独特のツンとした匂いが鼻をさす。 ぼんやり辺りを見渡すと、不安げに顔を歪めながら椅子に座っている、棗の姿が視界に入ってくる。 「もう平気そうだな。びっくりしたよ。」 「心配かけてごめん。」 「気にすんな。無事で良かったよ。じゃ、俺が居ると休めないだろうし帰るわ。」 「..ん、ありがとう。また連絡する。」 伸ばした手に気付いた棗は、ホッとしたように少し頬を緩め、両手で大切そうに僕の手を包み込む。 けれどそれはすぐに離され、バッグを持って立ち上がってしまう。 もう少し傍に居て欲しいような気もしたけれど、せっかくの気遣いを無駄にも出来ず、病室を出ていく後ろ姿を仕方なく見送った。 棗が帰ってすぐに検査があり、そこで分かったのは、花咲病という奇病に罹っていることだった。 恋心を胸に秘め続けることによって心臓に根を張り、じわじわと体の中で痛みを伴いながら蔓が伸びていくらしい。 更に病状が進行すると、皮膚の上にまで侵蝕して葉をつけると言う。 そして最期の瞬間を迎えるとき、右の瞳に花が咲くそうだ。 一番に愛する人との口付けでしか治る方法がないと聞いて、おとぎ話みたいだと思ったのと同時に死を覚悟した。 今どこで何をしているのかも分からない相手との過去より、棗との未来を大切にしようと決めたはずなのに、何故こんなことになってしまったのだろう。 「最近、顔色悪いぞ。」 「え..あ..そ、そうかな?」 「無理すんなよ。」 「..うん、ありがとう。」 あれから少しずつ、医者の言っていた通りの症状が出始めていた。 今はまだ痛みの範囲も狭いけれど、このペースで進行し続ければ、何ヵ月としないうちに隠しきれなくなることが容易に想像できた。 君ではない人のことを想って恋の病を患ってしまいました、なんてそんなの棗に言えるわけがない。 真実を知られて哀しませるくらいなら、嘘を吐いてでも綺麗に別れた方がずっと良いだろう。 「僕たち、もう終わりにしよう。」 「え..」 「研究に集中したいんだ。」 「..そっか、分かった。頑張れよ。」 ひたすら悩みに悩み、ようやく別れる決心がついたのは数日後のこと。 情けなく声が震えても、それでも何とか言葉を紡いだ。 けれど、棗と目線を合わせることは出来なかった。 見てしまえばきっと、涙が溢れて止まらなくなってしまうと思ったから。 全て自分のせいなのだから、そんなの許されるはずがない。 だから僕は話を終えると、俯いたまま足早にその場を去った。 込み上げる寂しさを、必死に押し殺して。 「っ..」 「大丈夫か?」 「..ん、平気。」 「ちゃんと寝てるのか?隈、酷いぞ。」 あれから二週間、病に気付かれない為に棗から逃げるように生活をしていた。 けれどその間に一度だけ、痛みによる寝不足で貧血を起こし、学内で倒れそうになったところを、偶然通りすがった棗に助けられてしまったのだ。 余計なことを悟られないように、家まで送ろうか、という提案は笑ってやんわり聞き流した。 変わらず接してくれたことに、安堵している自分に嫌気が差す。 彼を忘れられないくせして、棗のことも愛しいなんて最低だ。
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