ありがとう

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      「今まで応援ありがとうな、滝本。オレやっと決めた。正真正銘、彼女を自分のものにする」  そう言って箕輪がビールを飲み干した。  正真正銘? とうとうプロポーズするのか?  心の中だけでつぶやき返事をしない俺に、箕輪が「もちろん応援してくれるよな」と口元を歪めた。  応援? 今までそんなものしたことないけど。  再び心でつぶやいてジョッキを傾ける。  箕輪とは小学生からの親友だ。『だった』と言うべきか。というのは高校時代、同じ女子を好きになり、その子への告白を出し抜かれ、俺の中で終わった関係だからだ。  いや、そうじゃない。こいつは俺の気持ちを知らなかった。だから失恋は勇気がなかった自分のせいだ。思い切って行動し、成功したこいつを恨む筋合いはない。  そう何度も考え、憎しみや彼女への想いを断ち切ろうとした。だが、彼女の一挙一動を嬉しそうに報告する顔を見ていると憎しみがますます募るばかりだった。  本当は俺の気持ちを知っていてわざとじゃないかとさえ思え、卒業して三年、それが今もずっと続いている。  ふつう彼女が出来れば親友関係が薄くなりそうなものだが――もし俺ならきっとそうなる――こいつは彼女だけに専念せず、俺との付き合いも継続していた。親友想いのいいやつと言えば聞こえはいいが、今まで一度も飲みの場に彼女を同席させたことがないので、やはりこっちの想いに気付いているのかもしれない。隙あらば二人の仲を裂くかもしれない俺を見張るためか――応援するような言葉などただの一度も吐いたことがないのに、こうやって言ってくるのは俺を牽制しているに他ならぬのではないか。  堂々巡りのいつもの答え。  ああ、俺は今も彼女を忘れられずにいる。もし喧嘩話でも聞こうものなら、すぐ駆けつけてあんな男とは別れちまえと言ってやるつもりだ。 「いつするんだ?」  お代わりしたビールを飲み干してから聞いた。 「今晩、この後すぐ。もう準備もできてる」  箕輪は隣の椅子に置いたバッグをぽんぽんと叩いた。  指輪か――  どんな指輪かわからないが、それをはめた彼女の白くて細い指を想像し頭がかっとなる。  プロポーズが成功すればますます手の届かないところへ彼女は行ってしまうのだ。 「じゃ、こんなとこで飲んでちゃいけないだろ。早く行かなきゃ」  情けないことに、嫉妬する気持ちとは裏腹の言葉が口を衝いて出る。 「そうだな。そろそろ行くか――お前まだ飲んでるんだろ? ここで成功を祈っててくれ。じゃあな」  箕輪がポケットから出した一万円札を置いて席を立つ。  喧嘩もない睦まじいカップルが失敗に終わるわけないだろ。  箕輪の背に尖った視線を投げかけたが、やつが振り返ることはなかった。  特別な物が入っているのはやつのバッグだけじゃない。  箕輪を追ってすぐ店を出た俺は少し離れた位置を保ちながら自分のバッグの中身を確認した。  箕輪に会う際には必ず入れている物――研ぎ澄まされたサバイバルナイフ、だ。  手を入れて柄を握る。  もう我慢の限界だった。彼女のすべてが箕輪のものになる前にやつを殺す。実行すればもう二度と彼女に想いを伝えられないが致し方ない。  ふっと自分自身を鼻で嗤う。  同じ殺るならもっと早く実行しておけば、ここまで嫉妬に苛まれることはなかったのに。  彼女の住むハイツが視界に入ってきた。  箕輪がドアの前に立ち、おずおずとインターホンを押している。開くと同時に指輪のサプライズをするのかバッグに手を入れていた。  俺もナイフを握りしめ、物陰から飛び出した。  気配に振り返った箕輪が驚いた表情を浮かべたのと強靭な刃が深々とやつの脇腹に押し入ったのが同時だった。 「なんで――」  困惑を浮かべたままの箕輪が崩れ落ちる。 「ずっとお前が憎かった。わかってんだろ?」  痛みに引きつった箕輪の顔がすっと緩んだ。 「いや――でも――ありがとう滝本」  荒い息を吐きながら言う。 「はあ?」  今度は俺が戸惑う番だった。 「お、お前が止めてくれなきゃ、オレは彼女を――」  バッグが落ちて箕輪の手が出ていた。  握られているのはエンゲージリングではなく、ナイフ。 「ど、どういうことだ? おいっ」  身体を揺さぶったが、箕輪の息はすでに止まっているようだった。  その時かちゃりとドアが開いた。  隙間から見えるチェーンの奥に彼女が立っていた。  大人っぽくなってはいるが、あの頃と変わらず清楚で可憐な少女がほんの目の先にいる。  想い焦がれた彼女を前にして俺の身体が緊張で固まった。足元には死体も転がっている。 「あなたが助けてくれたの?」 「え?」 「こいつ高校時代に告ってきたやつなの。タイプじゃないからふったのにわたしをストーキングしてきて――卒業してからもずっとよ。  いろいろ対策はしたけど、全然だめ。  ああっ、キモっ――  警察なんか頼りにならないってわかって、怖さよりだんだん腹が立ってきて――自分の身は自分で守らなきゃってね――今度来たら目にもの見せてやるって思ってたわけ」  彼女は右手を掲げ、ドアの隙間から包丁を見せた。 「でも――どこのどなたか知りませんがありがとうね、こいつを殺ってくれて。もう少しでわたしが犯罪者になっちゃうとこだったわ。ほんっと助かった。ありがとう。  じゃ、わたし、かかわりあいたくないから自分で警察呼んでね」  そう言うと彼女はドアの奥に消えた。
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