コロナ渦中の闘病日記 -Ⅵ,新たな症状・限界-

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コロナ渦中の闘病日記 -Ⅵ,新たな症状・限界-

先日甲状腺の病院に訪れてから早1週間が過ぎた。改善の兆しがなく、朝から晩まで自宅のベッドでほぼ1日を過ごす日々を送っていた。 実は感染性心内膜炎以外の病気が悪化していたのである。 後日入院した病院の整形外科で発覚するのだが、後縦靭帯骨化症(こうじゅうじんたいこつかしょう・OPLL)の症状が出てきたのだ。OPLLは特定疾患として国が難病に指定している。詳しくは入院後の検査の際に記載するが、治療や薬は無く一生付き合っていくしかない頸の難病である。 更に不運なことに頸にヘルニアまで発症しており、入院してから発覚した病気は、感染性心内膜炎・後縦靭帯骨化症・ヘルニア(頸)の3つであった。 先に述べた通り、詳しくは後述する。 話を元に戻そう。 ある朝、目が覚めると首回りに違和感があった。痛くはないが明らかに首が固まっている。左右の肩は触れるだけで激痛が走り、私は小さな悲鳴を上げた。 ベッドから起き上がるのもやっとで、無理に肩を動かそうとすると、電流が走ったような痛みが生じる。 高熱、倦怠感に加え、首と両肩の痛み。 私の身体は限界に近く、身体が動かなくなってきていることに危機感を覚えた。 ベッドに横たわったままスマートフォンで感染症内科を探し、何ヵ所か電話をするものの「高熱」「コロナの疑い」を理由に来院の予約さえ取れなかった。 2ヶ所の医療機関で受けた血液検査の結果、両方ともCRPの数値が基準値の3~4倍は越えている。この数値の高さは白血球とウイルスもしくは菌との闘いが激しさを表している。 見たことがない小さな小さな白血球や、必死に働いている他の細胞、体内の各臓器、少しでも動こうとする私の身体が愛おしくなってきた。 焦って下手に救急車を呼ぶ訳にはいかない。 先日訪れた甲状腺の病院で良く分かったが、原因不明の高熱という理由だけで、コロナ患者が治療されている医療機関に運ばれる可能性が十分ある。 コロナに感染している可能性が低いと診断した2ヶ所の医療機関を信じるなら、大病を見落とされて適切な治療が受けられない可能性が高くなる。 つまり無理を重ねて我慢している私の身体が、いつまで持つか分からないのだ。 これは私の命だ。他人に任せられる判断ではない。 私が何とかしなくては。 電話で医療機関に断られても、断られても、断られても、何処かは診てくれる気がした。確証もないのに、絶望のど真ん中に微かな光があると思った。 今思えば、あの時諦めなくて大正解だった。しつこく感染性内科を探した結果、とある医療センターに診て貰えることになったのである。 勿論、電話に出た予約担当の職員にPCR検査で陰性でないことに懸念を示された。申し訳ないと思いつつ、こちらは命かかかっているので引き下がる訳にはいかなかった。天から垂れてきた貴重な蜘蛛の糸を自ら手放す余裕など1ミリも残っていない。 2ヶ所の医療機関でコロナに感染している可能性が低いこと、何らかのウイルスか菌に侵されてるため原因を突き止めたいこと、早く治療をしたいこと、他にも延々と訴えたが、よく覚えていない。 兎に角死に物狂いで訴えたことは事実だ。 私のしつこさに根負けしたのか、医療センターの職員は2月4日に感染性内科の受診を設定してくれた。 「ただし、ご高齢の方が多い病院なので37℃ 以上の熱がある際は、新規外来の受付をお 断りしております。ご了解下さい」 入口の検温が37℃で引っ掛かるとかハードルが高いと思ったが、無理を言って予約を捩じ込んでいるのは私である。用は、当日に入る際に熱が下がっていればいい訳だ。 「分かりました。2月4日の午前中に確かに 伺いますので、宜しくお願い致します」 急いで鞄から手帳とペンを取り出し、受診予定日を記入した。 これでやっと熱の原因が特定されて治療ができる。 私は、過度な期待を胸に静かに手帳を閉じた。 まさか、原因がなかなか特定されず、延々と検査を繰り返すことになるとも知らずに。 感染性心内膜炎と診断されるまで後1ヶ月。
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