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アラームの静かな音で目覚めると、僕は傍らの彼を揺り起こした。
「起きて蘭くん。朝だよ」
「うーん…」
彼の寝起きの悪さは折り紙つきだ。
「あと5分~」
「だめだよ。さすがに今日は遅刻したらまずいだろう? 早く用意しないと」
「いいんだよ~めんどくさい~」
「……」
布団をひっぱがしてやった。
「ほら、早く起きなさい!」
「イヂワル!」
不満の声を背で聞きながらカーテンも全開にした。眩しい朝日が部屋いっぱいに入り込む。3月9日の朝は、いつもより一段と麗らかだった。
卒業式の今日、僕の5歳年下の恋人は高校を卒業する。
サラリーマンの僕にとってはいつも通りの朝だ。
朝食を終えのんびりと歯を磨く僕の横で、彼は慌ただしく髪をセットしていた。
「なんだよこの寝癖~! ぜんぜんなおんねぇ!」
「シャワーに入ってセットしなおしたら?」
「んな時間ねぇよ」
「だから起きろって言ったのに。二度寝なんかしちゃうからだよ」
彼は黙ってふくれっつらを浮かべるだけだ。僕は噴きだすのを我慢しながら隣りで歯を磨く。
「髪立てていけば?」
「はぁ? いつも立ててなんかいねぇし」
「いいじゃないか、特別な日なんだから」
「ヤだよ。気合入れたみたいでバカみたいじゃねぇか」
「最後なんだから、気合くらい入れてたっていいじゃないか。それに、髪立てるのも似合ってるよ」
「似合わねぇよ」
「似合うよ。蘭くんはかっこいいから」
「バカにしてる?」
「してないしてない」
僕は微笑むと彼の後ろに回りセットを手伝ってあげようとした。が、ふとある事に気付いた。
「蘭くん、背伸びた?」
「あ? そりゃ伸びるよ。成長期だもん」
「いやそうじゃなくて…」
いつの間にか、僕より背が高くなっている気がするのだ。
改めて彼の隣りに移動して、鏡の前で背比べをしてみる。
「ほんとだ! 俺の方が高くなってる!」
寝癖の分を引いても、確かに彼の方が高くなっていた。おおお!! と大喜びする彼の横で僕は唖然としてしまった。だって出会った頃は、彼は僕よりもずっと背が低かったのだ。
「驚いたな。最初は僕よりずっと小さかったのに。いつの間にか抜かれていたなんて」
「そりゃ抜かすよ。だってもう3年も経ったんだぜ。背だって抜かすよ」
背だけではない。気付けば体格も変わっていた。彼がパジャマ代わりに来ていた僕のTシャツはサイズが合っていなくてツンツンになっていた。骨格も筋肉もずっと成長していたのだ。
つい昨日の事のようなのに、彼と出逢ってもう3年もの月日が経ったのだ。
今更こんな事に気付くなんて。毎日のように会っているのに…。
いや、毎日のように会っていたから気付かなかったのかな。
それとも、僕が全然変わらないから、歳月の経過を感じずにいたのかな。
今日は卒業式。
ひとつの節目を迎え、新たな道へと旅立とうとする彼がひどく遠い所に行ってしまうような気がした。
「今日は何か約束とかあるのかい?」
僕は彼の腕を掴んで見つめた。
「ん、いやなんもないよ。たーこそ、今日は会社遅いの?」
「いや、今日は定時で上がれると思うよ」
「ほんと? じゃあ夜に来てもいい?」
「いいよ。じゃあ今日はご馳走を作って待ってるね。卒業のお祝いをしよう」
無邪気に破顔して喜んで彼は足早に玄関を出て行った。
その広い背中を僕はいつまでも見送っていた。
※ ※ ※
夕食は彼の好物のハンバーグにした。
ハンバーグは僕が彼に作ってあげた最初の料理でもあった。彼は何度もうめぇと連呼して何回もお替りをしたんだった。
「やっぱたーの作るハンバーグはうめぇなぁ!」
「そうかい? ありがとう」
「もういっこ食ってもいい?」
「どうぞ。いっぱい作ったから食べて」
口いっぱいに頬張ってうまいを繰り返す彼の表情が初めて作ってあげた時のものと重なって思わず笑みが漏れた。
「ほら、ちゃんとサラダも食べなきゃだめだよ」
「葉っぱ食っても腹埋まらねぇよ」
「埋まらない方がいいと思うけどな。この後はケーキもあるんだから」
「マジに!? もしかしてたーの手作り?」
「うん。実はこっそり昨日から下ごしらえしてたんだよ」
早々に料理を平らげた彼にせがまれ、さっそく冷蔵庫から作りたてのケーキを持ってくる。
「すげぇ!!」
期待に光る彼の目がケーキを見た瞬間感動の輝きへと変わるのを見て、夜遅くまでかけて準備してよかったと思った。白い純白のクリームと真っ赤なイチゴ。そしてホワイトチョコレートと飴細工で作った「卒業おめでとう」のプレート。
「ほんとにたーが全部作ったの?」
「そうだよ。お店のにはかなわないけど、悪くない出来だろう?」
「悪くないどころか、どの店に出てるのより一番だよ。俺、こんなきれいなケーキ見たことねぇ」
「おおげさだなぁ」
あんまり真剣に褒めてくるものだから照れ臭くなる。
「たくみ」
「ん?」
「ありがとう」
ドキリと胸が高鳴った。
不意打ちだった。彼が優しく微笑んできたのだ。見た事ないような大人びた表情だった。
変わったのは身体だけかと思ってたのに…。
こんな顔までするようになってたなんて。
「4月から…専門学生だね」
僕は話題を変えようとした。
「うん、2年間だけだけどね」
「大学に行けばよかったのに。4年間自由にできて楽しいよ」
「んなヒマあったら早く働きてぇし」
「働くのはタイヘンだよ。学生時代は一度きりしかないんだから、有意義に過ごせばいいのに」
「いいのいいのー」
彼は笑うとケーキを口いっぱいに頬張った。
「うめっぇ!!」
「ほんとに? 良かった。初めて作ったから自信なかったんだけど」
「これで初めてなの?ほんとに店のとかわんねぇよ。たーはホントに料理上手だなぁ!俺、こんなに美味しい物食えてめちゃくちゃ幸せ」
ホントのホントに幸せ!
そう言う君の笑顔を見て、僕も幸せになってくる。
胸いっぱいに温かい思いに満たされて、君の事が愛おしくて仕方がなくなる。
僕は君の事が好きで好きで堪らないんだよ。君が僕の料理で幸せになってくれるなら、僕は君にいつだっていつまでだって美味しい料理を作ってあげたい。
(俺、たーの旦那さんになって毎日おいしい料理作ってもらいたい!ねぇ、だから俺と付き合おう!)
不意に彼からの告白の言葉を思い出した。3年前だ。
小さい子みたいに無邪気に笑って、僕を見上げながら彼は言った。つい昨日の事のように鮮やかに甦った思い出。
今、思い出すなんて。
そうして。
こんな切なくて、心細い気持ちになるなんて―――。
おめでとうの日なのに、今日の僕は、なんだかおかしい…。
「ご飯の食器片づけちゃおうか」
誤魔化すように僕は後片付けを始めた。彼の皿に手を伸ばしたところで、手首を強くつかまれた。ドキリと胸が高鳴ったのも束の間、ぐいと引き寄せられて視界が反転し唇にぬくもりを感じた。
「大好きだよ、たくみ」
3年前に見せなかった大人びた目が、まっすぐに僕を見下ろしていた。
身体が、頭が熱い。僕は苦しくて喘ぐように視線を逸らした。逸らしたところで、彼の胸元に目が止まった。
彼の制服のボタンは第2の所だけ無くなっていた。
そんな僕に気付くと、彼は少し気まずそうに口ごもった。
「欲しいって女の子がいたからあげてきた。わけわかんねぇよな、あんなのもらって何が嬉しんだか」
へぇ、と僕は平静を努めて笑って見せた。
「今でもあるんだね、好きな人の第2ボタンをもらうなんて」
努めて見せようとしたけど、無意識のうちに僕は彼の身体を押しのけていた。
食器を片づけるのを理由に逃げ出した。何から?彼から?
いや、不安から。
そう。今日の僕は朝からずっと不安に苛まれていた。
3年の歳月。
僕にとってそれは何の変化のない1年がただ3回過ぎ去っていっただけにしか過ぎない。でも彼にとっては、低かった背が伸び大人びた微笑みでますます僕を縛り付けるまでに変化を遂げた期間―――。
僕は怖かった。
そうして彼がどんどん変わってしまうのが。
いつか、そうして僕の事も、過ぎ去った過去の取り留めのない出来事のひとつのように忘れ去ってしまうんじゃないかと―――。
「どうしたの」
洗い桶に水がたまるのを黙って見つめる僕に、後ろから彼が呼びかかてきた。
「怒ってるの?」
「怒ってなんかないよ」
「じゃあどうしてそんなに冷たいの?」
「冷たくなんかしてないよ」
じゃあ―――。
強引に抱き寄せられ、言葉の続きがこめかみから響いてきた。
「教えてよ。今日のたくみ、朝からおかしいよ」
「……」
「なに考えてるの」
「何も…」
「言ってよ」
逃げたい。
でも彼の太い腕が僕の肩を抱き、もう片腕が腰に回って封じ込めていた。
「離して…らんくん…」
「やだ」
駄々っ子のような言い方なのに声は苦しいほどに甘く低かった。
腰に回した手がゆっくりと動く。
「教えてくれるまで離さないよ」
衣服に感触を感じ、ベルトの金属音が鳴り、ウエストが緩むのを感じた。
「だめだよ…らんくん…」
言ってる最中に彼の手が衣服の中に滑り込み、その熱い手に奪われてしまう。
「お願いだから、やめて…」
「ヤだよ」
怒ってるようなぶっきらぼうな声が吐息と共に耳元に響く。
「教えてくれるまでやめねぇよ」
熱い手が窮屈な衣服の中でうごめく。僕は必死に手を入れその手の動きを阻もうとするけれど、彼の大きな手は僕の防戦などもろともしない。
いつも甘えるように攻めてくるから気付かなかった。力でも彼はすでに僕を超えていたのだ。
でも僕をねじ伏せるのにはその手の熱さだけで充分だった。高熱のように高まった身体に後ろから抱きすくめられ弄ばれ、僕は動きを鈍らせ溶けていく。
「あ…っぁ…あ…」
堪らなくなって、シンクの縁にもたれかかった。後ろからさらに体重を乗せられ、ますます身を封じられる。
僕の意思に反して大きくなってしまった僕自身が、窮屈な衣服の中からの解放を許される。ステンレスの冷えたシンクに擦りつけられビクリと身体が震えた。それでも高めようとする動きは容赦せず、僕自身をしごきあげ零れた愛液で銀の表面を汚す。
「あ…っもぉ…許して、らんくん…」
「じゃあ教えて。なに考えてるの」
僕は喘ぐように激しくかぶりを振った。
「僕がいけないんだよ…弱い僕がいけないんだよ…」
「たくみが悪い事なんてなにもないよ…」
噛みつくようにキスされた。
舌を貪られ、奪われるように吸い上げられ、僕自身も限界に引き上げられる。
シンクを白濁で汚し、共に心の濁りをも吐露した。
「怖いんだよ…」
「なにが…」
呻くように囁かれ、白濁に汚れた手が僕の中を犯す。
「怖いのなんか俺が忘れさせてあげるよ、言って、たくみ…なにが怖いの?」
「…成長した君に気付いて…変わる恐怖に気付いたんだよ…」
「……」
「君が変わってしまうんじゃないかって…君が…」
いつか僕から離れてしまうんじゃないかって…。
不安の原石は吐き出す事は許されなかった。
彼が一気に僕の中に入ってきた。たしなめるように乱暴に。高ぶりきったそれは、何もかもを打ち消すかのごとく力強く荒々しかった。
僕は許しを請うように喘いだ。彼は僕の腰を持ち上げ、最奥の奥にまで捻じ込み、力任せに穿ち続けた。
「ああ、っ、あっあぁあ!! こわ、れちゃうよ…らん…くん…っ」
「壊れちゃいなよ。そんなこと言うたくみなんか、壊れちゃいなよ…」
怒りに近い声で唸る彼の声はどこか悲壮にも聞こえた。
「俺、あんたのこと好きでたまんねぇんだよ。わかってんのか?あんたが思ってるよりもずっと、もっと、ヤバいくらい、あんたのことが好きで好きでたまんねぇんだよ。例えたくみが迷惑に思う日が来たって俺来るよ、毎日押しかけるよ、こうやってあんたを抱き続けてやるよ」
息が詰まるほどに抱きしめられ、「本当に?」と問い返すどころか喘ぐ事も許されない。たくみ、たくみ、と囁かれるごとに、溶けるような安堵感と共に情欲が高まっていく。何度も繰り返されるその呼び声は、僕の存在を確かめるかのように愛おしげに、それでいて苦しげに聞こえた。
「どれだけ時間が過ぎたって、なんにも変わりはしねぇんだよ。月日なんて、ただ流れるだけでなにも変えてくれやしねぇ…。俺とたくみの間にある5年の歳月だって、埋まらねぇんだよ」
「……」
「流れた分だけ埋まるなら、いくらでも過ぎ去ってくれればいいのに。早く…早く大人になりてぇ」
腕の力が弱まり、顎がつかまれ口づけされた。今度は媚びるように優しいキスだった。僕はそれを受け止め、そうして精一杯の情愛の口づけで応えた。
「早く大人になりてぇよ…。大人になって、めちゃくちゃ稼いで、たくみに認められる男になりてぇ…」
「らん…くん…」
「そしたら今以上にぞっこんに惚れさせて…いつもそばに置いて…好きなだけ抱くのに…。今よりも、もっともっとたくみを愛せるのに…」
身体が蕩けていく―――いや、そう錯覚するほどに、言葉とキスで頭がのぼせていく…。
僕はやはり、歳月の経過は何かを変えてしまうのだと思う。
けれども、変わらないものも確かにあるのかもしれない。互いの肌の熱さ、真摯な視線、溢れる愛おしさ…。それは、3年前から僕と彼の中に息づき続けてきた変わらない確かなものだったから。
「…やっと3年経ったんだ…。だから、あともう2年好きでいさせて…。そしたら俺、たくみのこと嫁さんにできるように男になって、ずっと一生一緒にいるから…」
「らん…く…ん…」
キスと二度目の告白に導かれ、僕は涙と共に幸福へと達していた。
「その言葉、初めて告白してきた時にも言ってたね。お嫁さんにするって」
「まじで? 俺成長してねぇな…」
「ほんとだね。いきなり言い出すんだもん、プロポーズ」
照れ臭そうに顔を赤らめる彼に、僕は泣き笑いの笑顔を向けた。
「返事はもちろん『はい』だけどね」
変わり続けるものの中で、ただひとつ、この想いだけが変わらないのならば。
これからもずっとずっと一緒にいよう。
永遠の愛を、君だけに捧ぐよ。
※ ※ ※
「ほら、もう朝だよ。起きて」
「あと5分~」
「そうやってすぐ二度寝する。今日からは寝坊しないんじゃなかったの?」
布団をひっぱがした。
「ええ~? 入学式今日だっけ?」
「なに寝ぼけた事言ってるの! 今日だからスーツおろしておいて、って言ってたのらんくんだろう?」
「あ、そうだったー!」
飛び起きると、彼は洗面所に駆け込んでいった。彼の寝起きの悪さは相変わらずだ。これで何回起こしたと思ってるんだろう。まったく世話が焼ける。
どたばたと準備を終わらせてスーツ姿で出てきた彼は、食卓に座ってすでに用意されていた朝食に手を付け始めた。が。
「はい、もう時間だから出て」
「えー! まだ全然食ってない―!」
「遅刻するよ」
「成長期なのにぃ!」
「身体だけ成長してもね」
「イヂワル!」
「はい、早く出た出た」
「イヂワル! イヂワルー!」
駄々をこねる彼に、僕はにっこりと意地悪な笑顔を向けて返した。
「旦那さんはお嫁さんに尻ひかれるものだよ」
あっという間に顔を真っ赤にさせた彼は、いそいそと鞄をもって玄関へ向かった。僕はその後ろに粛々とついてお見送りする。「いってらっしゃい」と僕が言うと、「行ってくる」と彼がぶっきらぼうに返してきた。
ほんと、なんか夫婦みたいだな。
お腹の底がくすぐったいような笑いが込み上げてきた。堪えていたら、ふいにぐいと手が引かれた。
彼の唇が僕の唇に重なった。
「いってらっしゃいのちゅーだろ」
「…旦那さんからするもんじゃないだろ」
そうだっけ?としらを切る彼の頬に、僕は恭しく手を伸ばした。
「早く帰ってきてね」
そうして、今度は僕から甘いキスを捧げた。
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