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散会後は、みんなで連れ立って駅まで歩く。
各方面に分かれてホームに向かい、電車を待つ。
電車が到着して、私も他の人と一緒に乗り込もうとすると、不意に腕を掴まれた。
えっ?
振り返ると、私の腕を掴んでいるのは、佐伯主任。
「ごめん、ちょっと付き合って」
佐伯主任は、ぼそりと私の耳元で言う。
えっ? 何?
分からない私は、佐伯主任と、今ドアが閉まろうとしている電車の中にいる同僚たちを見比べることしかできない。
「すみません。飲みすぎたんで、少し休んでから帰ります。お疲れ様でした」
佐伯主任は、社内にいる同僚にそう声をかけ、頭を下げる。
その時、発車のベルがなり、プシュと電車のドアが閉まった。
えっと……
どういうこと?
よく分からない。
分からないけど、渡すタイミングを見つけられなくてずっとバッグに入れたままだったプレゼントを、今なら渡せる。
「あの、佐伯主任!」
私が声をかけると、佐伯主任は、ハッとしたようにその手を離した。
「あ、いや、ごめん」
なぜかうろたえて謝る佐伯主任。
私は、首を横に振った。
「違うんです。あの、これ……」
私は、バッグを探って、万年筆の箱を取り出した。
「今までありがとうございました。ほんの気持ちなんですが、受け取ってください」
私は、紺色の包装紙で包まれ、細いシルバーのリボンのかかったその箱を差し出した。
「これは?」
佐伯主任は、立ち止まったまま尋ねる。
「いろいろ迷ったんですが、筆記用具なら邪魔にならないし、使ってもらえるんじゃないかと思って……」
私は、告白したわけでもないのに、恥ずかしくて顔が上げられないくて、自分の手元を見たまま、答える。
「ありがとう。開けてもいい?」
私がこくんとうなずくと、佐伯主任は、右手で私の手からそれを受け取り、左手で空いた私の手を握った。
えっ?
驚いた私がとっさに手を引っ込めようとするけれど、意外にもしっかりと握られていて、離れない。
佐伯主任は、そのまま私の手を引いてベンチに座った。
私が隣に座ると、ようやくその手を離して、ラッピングを解き始める。
気に入ってくれるかな?
趣味が合わなかったらどうしよう。
私はドキドキしながら、その手元を見つめる。
ラッピングを解き、箱を開け、佐伯主任は、万年筆を取り出す。
「これ、名入り? 高かったんじゃない?」
佐伯主任は、驚いたようにこちらを見た。
「いえ、今までお世話になったので、これくらい……」
私は消え入るような声で答える。
「ありがとう。大切に使うよ」
そう言った佐伯主任は、万年筆をスーツの内ポケットにしまい、包装紙とリボンを畳んで箱に入れると、鞄にしまった。
「……藍川さん」
「はい」
呼ばれて反射的に返事をして顔を上げる。
するとそこには、真剣な目をした佐伯主任の顔があった。
「転勤する前に言っておきたかったんだ」
何を?
私は無言で首をかしげた。
「俺、ずっと藍川さんが好きだった。付き合ってください」
「……えっ?」
驚いた私は、そのままその場に固まってしまった。
今、なんて?
「今まで、振られた後の仕事のことを考えると、なかなか勇気が出なかったけど、でも、このまま離れてしまうのは嫌なんだ。だから、俺と付き合って」
なんだか、夢の中にいるようで、ふわふわする。
ほんとにほんと?
「藍川さん、俺じゃだめかな?」
佐伯主任は、心配そうに私の顔を覗き込む。
だめなわけない。
私は、慌ててかぶりをふった。
「私……、私も、ずっと好きでした」
私は蚊の鳴くような声でそっと告げた。
「ふぅぅぅ……」
私の返事を聞いた佐伯主任は、ほっとしたように、大きくため息をついた。
「ありがとう」
そう言った佐伯主任は、座ったまま、私の肩を抱き寄せた。
「帰ったら、電話する。明日、一緒に出かけよう」
佐伯主任の腕の中でドキドキが止まらない。
ドキドキの中で必死に考える。
これってデートのお誘いよね?
私は、こくこくと何度もうなずいてみせた。
その時、次の電車がスーッと滑り込んできた。
「さ、帰ろう。家まで送るから」
私は、佐伯主任に右手を握られ、そのまま一緒に電車に乗った。
そのあとのことは、よく覚えていない。
なんだかふわふわした気分のまま帰宅し、着替えもしないで、ぼぉーっとベッドに腰掛けていると、電話が鳴ったことだけは覚えている。
佐伯主任、今までありがとうございました。
私のことを好きって言ってくれてありがとうございました。
家まで送ってくれてありがとうございました。
これから、きっとたくさんのありがとうが生まれるんだろう。
私は、そのひとつひとつを大切にして、ちゃんと伝えていきたい。
佐伯主任、ありがとう。
─── Fin. ───
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