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できるだけ多くの「ありがとう」を狙い、できるだけネガティブな発言には気をつけて生きる。それでもポイントは乱高下した。
ちょっとした「ありがとう」をもらうために、それなりの労力を割いたときには、自然と愚痴がこぼれる。すると、せっかくのポイントが減算。仕事でイヤなことがあれば、酒を飲んで憂さ晴らし。翌朝、目覚めてみると、貯まったポイントが減るどころか、大幅なマイナスに。
このままじゃ金を取られてしまう。焦りを感じ、また「ありがとう」を求めてさまよう。ポイントが減らないよう、口数はどんどん減っていく。
そして、僕は部屋に閉じこもった。
管理画面に表示された〝ありがとうポイント〟は、ゼロ。プラスでもマイナスでもない。何もない状態だ。もう、ポイントを増やすことにも、減るのに怯えることにも疲れた。誰とも会いたくないし、誰ともしゃべりたくない。ひとりぼっちで生きていたい。
真っ暗な部屋のなか、ポイントのためだけに与えた薄っぺらい善意の数々が脳裏をよぎる。そして、ポイント減算の原因になった汚い言葉たちがブーメランのように攻め立てる。
「…………」
僕は無言のまま、手にしたペットボトルを壁に投げつけた。負の感情を言葉に出すわけにはいかない。せっかくゼロになったポイントがまたマイナスになってしまう。
と、その時だった。部屋に鳴り響くインターフォンの音。玄関へと足音を忍ばせ、ドアスコープを覗いてみると、そこには亜美が立っていた。彼女の姿を見るのは、もう何週間ぶりだろうか。
思えば非の打ち所のない恋人だった。わがままな僕の性格を優しく受け止め、包み込んでくれた。勘違いから浮気を疑い、暴言を吐き続けた僕の愚行も飲み込んでくれた。
そして、ポイントの亡者と化し、人との関わりを断絶した僕に、こうして会いにきてくれた。
「……久しぶり」
ビクビクしながら、言葉を選ぶ。
亜美は無言で立っている。
「……部屋、入らないの?」
無言のままの彼女。
マンションの下を走る車の音だけが虚しく響く。気まずい空気を切り裂くように、彼女が口を開いた。
「さすがに、わたしももう限界なんだ……」
「え?」
「ずっとずっと大好きだったよ」
「…………」
「今まで、ありがとう」
そう言い残すと、亜美は僕に背を向け、去っていった。そして、彼女のいなくなった景色を、僕はただ見つめていた。
静かにドアを閉め、真っ暗な部屋に戻る。
転がったペットボトルをテーブルの上に置き、何気なくスマートフォンを手に取る。
煌々と明かりを放つディスプレイ。見慣れた管理画面には、亜美から最後にもらった「ありがとう」のポイントが加算されていた。
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