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「お……おはようございます」
「ウッス」
麟斗さんはヤンキー風に返してくれた。
「いやー疲れたよ。あのオバチャン、アフター長えから。若くないのに徹夜したがってヘロヘロだ」
「麟斗さん、帰らないんスか?」
「あれ、なんで俺の名前知ってるの」
やべ。脇の下に汗があふれる。俺はすがるように通りの先にある「club 皐」の馬鹿でかい看板に目をやった。何人かのホストのバストアップの写真と源氏名が印刷されていて、特に売上ツートップの麟斗さんとEi-jiの写真は人目をひく。
「ああ、確かに」
俺の視線を追った麟斗さんは納得したようで、
「オレ、有名人なのね」
と笑った。
正面から麟斗さんの顔をしっかり見るのは初めてだった。ホストってナヨナヨしてる男ってイメージだが、麟斗さんは優しい感じなのに口元や目元が締まっていて、目力も強い。それこそウチの組の若頭とタメ張れるんじゃないか……若頭を見たのは一度きりなんだけど……それに首がとてもきれいだ。ムダ毛を剃ってるし、ホストなんて不健康な仕事をしている割に皮膚のきめが細かい。
「いつも掃除してて偉いな」
「ども」
「夕方も掃除してんだろ」
「あ、まあ……一応」
気づいてたんだ。
「名前、きいてなかったな」
いきなり訊かれて俺は面喰らってしまい、自分の名前なのにどもってしまった。
「えっと、さ、坂本千尋」
麟斗さんの手が伸びてきて、俺の高校球児みたいな頭を撫でる。
「前からボウズだったっけ?」
ありえねえだろ、馴れ馴れしい……と思いながら、俺は動けなかった。胸の奥がじんわり変な感じになりながら、麟斗さんを見上げていた。
「いえ、あの、アニ……先輩に切られちゃって」
「最近お前がめちゃくちゃ可愛く見えるんだけど……ボウズのせいなのかな?」
ほっぺたまで触られてしまった。ヒゲ、剃っておいてよかった……薄いけど。
それにしても、可愛いってなんだよ!俺、男だぞ。きっと、客の女たちにも言ってるんだろうな。
……でも、悪い気はしない。正直に言うと、嬉しい。なんでだろう。
「いくつ?」
「19っす」
「まだ酒飲めねえんだ」
「はい」
本当のことをいうと、箱崎さんに無理矢理飲まされたことは何度かある。だけど俺は酒に強いのか、全然酔っ払わなくて、箱崎さんはなんだか悔しそうだった。
麟斗さんの手が離れた。
「んじゃ、飯食いに行こっか」
「え?」
「腹減っちゃってさ」
「はあ」
「先輩に怒られる?」
俺は慌てて手を振った。
「いやいや、大丈夫っす」
急いでゴミをまとめてホースを片付け、財布を取りに行こうとするのを、麟斗さんに止められた。
「いいよ、おごってやるから……といっても、こんな時間じゃ大した店やってないけど」
ふたりで並んで歩き出す。俺はあまり背が高くなくて、麟斗さんの肩に額が当たるくらいの差があってちょっと恥ずかしい。そんなところも含めての「可愛い」なんだろうか。
「なに食いたい?」
「えっと……じゃあ御岳そばの朝定食っすかねえ」
「控えめだなあ……でもオレも賛成。あっさりしたものがいい」
俺は歩きながら麟斗さんの横顔を盗み見ていた。やっぱりキレイだ。いつまでも見てられるような気がする。視線に気づいたのか、麟斗さんがこっちを見てニヤッとした。俺は恥ずかしくなってうつむいたが、やっぱり見てしまう。飯なんてどうでもよくて、ずっと一緒に歩いていたかった。
このことは皆には内緒にしよう。箱崎さんなんかに話したら、ホストの気まぐれに付き合ってんじゃねえよと馬鹿にされるに違いない。確かに麟斗さんは気まぐれかもしれない。でも、今この時が大事なんだ。
俺はホストにハマる女の気持ちがすこしわかるような気がした。
おわり
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