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「綺麗事を始め美談、美辞麗句、誉め言葉、お世辞、外交辞令、社交辞令、お追従、お為ごかし親切ごかしの言葉、感謝の言葉、謝罪の言葉、皆、口先だけ。いじめを隠す校長や教師、不倫を隠す男女、隣人を偽称する者、デマを飛ばす者、誹謗中傷する者、詐欺を犯す者、偽善をする者、詭弁を揮う者、食言する者、誣言を弄する者、讒言を弄する者、建前を駆使する者、自慢話をする者、二枚舌を使う者、三味線を弾く者、お座なりを言う者、まやかしの宣伝、広告、会見をする者、序に言えば、皆に元気を与える為にと言って笑顔を作ったり空笑いしたりする者、こいつら残らず嘘つきなのであって全く此の世は嘘のオンパレードさ!しかし、大人たちは斯様な譎詐を大して罪悪感を抱かずに平気で繰り返す」
そう言い終わると、グラスに入っていた残りのジンをぐいと飲み干した。
痛い所を突かれた気がしていた玲子は、自分を弁護するように言った。
「嘘ばっかりって言うけど、嘘も方便って言うでしょ。だから必ずしも嘘が悪い訳じゃないわ」
「それは逃げ口上だな。大人は大抵そう言う」と高木はぼそっと言うと、ボトルキープしておいたジンをグラスに注いだ。「玲子さんもよくお世辞を言うよね」
「高木さんに?」
「ああ」
「お世辞じゃないわ」
「じゃあ、僕を思いやって褒めてくれるわけ?」
「思いやるも思いやらないも褒めるべきだから褒めてるのよ」
「玲子さんに僕の絵が分かるのかい?」
「分かるわよ。失礼ねえ」
「へへ、そうか」と高木は意味深長に笑うと、「僕を思いやってると信じたい。思いやる心は仁」と言ってジンを洒落みたいに味わった。「玲子さんは僕の絵が分かると言ったけど、孔子は分かるかい?」
「こーし?」
「その様子じゃ分からないようだね。四大聖人の一人だよ」と言って高木はニヤリとした。「孔子は巧言令色鮮し仁と言ったが、巧言令色を濫用する者が多いよね。また孔子は、剛毅木訥仁に近しと言ったが、剛毅木訥とした者が皆無に等しい。つまり現代日本には上辺を繕うことに長けているが故に一見優しそうだが、実は誠意はなく軽薄で愛想を振りまくへらへらした糞や屑が腐るほどいる始末で仁の心を持った見上げた人物は、暁天の星で払底してると言えるんだ。だから僕はせめて玲子さんが僕を思いやれる人だと信じたいのさ」
こう言っても玲子がどう反応していいか分からないでいると、「ガッハッハ!」と高木は忌憚なく豪快に大笑いした。
案の定、玲子は孔子を知らなければ、仁の意味も知らないので高木が笑った理由が今一つ分からないのだが、高木にやり込められていることは分かるので令嬢の意地でやり返したくなった。で、「ジンを飲めば僕の願望の意味するところが分かるかもしれないぜ」と相変わらずからかうように口さがなく言う高木に苛立った玲子は、ヤケクソ気味にジンをボトルで頼んだ。彼女は終電を逃すまで飲んで泊まらざるを得なくなったラブホテルに於いて自分の誘惑に高木が負けるか試そうと思ったのだ。
で、バーに来てからざっと4時間くらい飲んだ時だった。「お嬢さん、もう帰ろうか」と高木がふざけた口調で言うと、「まだ飲むわよ」と玲子は強い語調で言った。
「終電に間に合わなくなるよ」
「間に合わなくったっていいの。今夜は泊まるんだから」
「えっ、泊まるって何処に?」
「決まってるじゃない。言わせないでよ。野暮ねえ」
駅近くにはビジネスホテルが、バー近くにはラブホテルがあるが、深夜から泊まれるのは後者だけだし、玲子は令嬢に相応しくほっそりとした可憐な美女なので高木は当然の如くときめき色めいた。が、次の瞬間、しかし、まさか俺と一線を越える気なのか、遊びの積もりにしても令嬢が一本立ち出来るかどうかも分からない画家に体を許すものなのかという思いが頭に過って半信半疑になってしまった。但、どうしたって期待しない訳にはいかないから自ずと顔が綻び、快い酔いも相俟ってにやけてしまうのだった。
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