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「どうでした?」
相坂が筆の毛先と睨めっこしながら言った。
「違った」
「やっぱり」
「自信はあったんだがな」
「じゃあ理由もなく怒ってたんですね?」
「いや理由は明確だった」
「え。なんです?」
「いやそれがな」と西倉が濁す。
「なんですか。気になるじゃないですか」
「……文句は受け付けないからな」
「西倉さんじゃあるまいし文句なんて」
「あのベンチの男は五月女に鬼のような形相で、こう言われたんだと――『自転車が怒っている。彼らは放置するものではなく、乗ってこそ価値のあるものだ』」
「…………意味が分からないのですが……」
「女子高生もスーツの男も自転車に乗ってなかった。それに怒っていたんだ」
そして唯一、自転車に乗っていた主婦はお咎めなしだった。
「……そんなこと…………ああなんだか気が抜けちゃったな」
「相坂?」
「……もういいか。いいですよね、もうどうだっていい。疲れました」相坂は立ち上がって椅子を畳み始める。
「おい、帰るのか? まだ全然描けてないじゃないか」
「あとは家で描きます」
「だって真ん中――桜の部分が全く描けてないのに」
「だからいいんですよ。どうせこの桜を描く気は失せましたから」
「この桜? なにか怒ってるか?」
「そうですね、ちょっと。もう知らないんだから。めちゃくちゃに描いてやるんですから」
「珍しいな、どうしたんだよ」
「怒りの原因っていうのは見つけるのが難しいらしいですからね」
でも相坂はわかっていた。
このときどうして自分が珍しく怒っているのか、わかってしまっていた。
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