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シャンデリアにわざとらしい紫煙がまとわりついていく。
アイカはがらんとした玄関ホールでその様子を見上げていた。同時に電子がシナプスをリレーして脳を覚醒させていく。最近の煙草は咥えるだけで効果を得られるが、アイカは白い棒状のそれを吸っては吐く仕草が好きだった。
窓のほうに視線を向ける。
「きょうも外は真っ白か」
この辺りは標高が高くしょっちゅうホワイトアウトするのだ。
アイカがそうぼおっとしていると、
こんこん――。
と吹雪がドアをノックする音が響いた。アイカにとっては聞き慣れた音。
こんこん――。
二回目の音。
アイカは眉をあげた。一回目の音とそのリズムも音階も全く一緒だったからだ。
――誰かが玄関を叩いている? この吹雪のなかで? ……まさか。
アイカは首を捻りつつ、ドアの前に。
こんこん――。
三回目。アイカは驚いてドアを内側に開いた。
「うわっ」
色を失った背景に、女の子が立っていた。
十代半ばくらいでアイカより頭ひとつぶん背が低い。白い肌に桃色のくちびる、黒い前髪。白いニット帽と黒いポンチョの上には白ウサギと見間違うくらいの雪がつもっている。とても厚着とは言えない服装だった。
「あの! 突然すみません、わたし、アリスと申します。お父様に会わせて頂きたく、お邪魔しました」
その女の子は長いまつげに縁取られた力強い瞳をアイカに向けた。
「……父さんに。とりあえず、入って」
「ありがとうございます」
一歩前に進んで、アイカは玄関を閉じる。ごうごうという吹雪の音が止んだ。
「寒かったでしょう」
「わたしは寒さをあまり感じないんです」
「限度があるでしょ」
「えへへ、どうも」
コミュニケーションをとるのが大変そうだとアイカは思った。
「ちょっと待ってて」
アイカは奥の部屋に入っていく。
取り残されたアリスは周りをきょろきょろと眺めた。吹き抜けの高い天井に吊されたシャンデリア。左右に五部屋ずつ、まっすぐ中央に一部屋。古くさい感じはあるがとにかく広い。
「へえ……変わってないなあ……」
振り返ってドアを優しく撫でる。アリスは目を細めて微笑んだ。
「お待たせ」
アイカの手には大きなタオルが二枚。一枚を床に敷く。
「ブーツ脱いで。タオルに乗って」
「はい」
同時にアリスにつもっている雪を払ってニット帽をとり、もうひとつのタオルで髪を拭く。
「わっ。じ、自分でやります」
「いいから。じっとしてて」
「……はい」
髪の先をタオルで挟みながら、アイカはアリスの顔をのぞき込むようにした。
「あれ?」
「どうしました」
「あなた、どこかで見たことがあるような」
「これが初めてですよ?」
「……そうよね。勘違いかも。忘れて」
「忘れるのは苦手です」
「それは生き辛そうね」
頭を拭き終わると足へ。
「カチカチに冷たいじゃない。あ、じっとしてて」
「……あの……すみませんがお名前は?」
「ああごめん。私はアイカ。アイカ・アサクラ」
「アサクラ? ということは失礼ですが、アイカさんはこの家の人ということですか? お手伝いさんとかではなく?」
アイカの拭く手が止まる。
「この家の一人娘よ」
「……そんなはずはありません。わたしはこのお屋敷の主人、ケン・アサクラの娘です。訳あってずっと離れて暮らしていましたが――」
「……こんな吹雪のなか来るなんて嫌な予感はしたのよ。うそつきってどうしてこう多いのかしら」
「わ、わたしはうそなんかついていません! ほんとうにお父様の娘です!」
「……来なさい」
アイカはタオルを投げ出して歩き出す。
「ちょ、ちょっとアイカさん!」
アリスはびちょびちょのブーツを一瞥したが諦めて裸足のまま背中を追った。
「急にどうしたんです?」
アイカの向かう先は中央の扉。
「アリス、と言ったかしら」
「はい?」
「父さんがもう永くないって知ってる?」
「……はい。わたしはそのために遠い東国からはせ参じました」
「……あなたで二十七人目なのよ」
「は? なにがです?」
アイカは威圧的な扉の前で歩を止めた。そして振り返ってアリスに言う。
「最近になって、この家の子どもだって名乗って来た人の数」
アイカは扉を開けた。ツンと酒の臭い。そして耳を塞ぎたくなるような叫び声。とても上品とは言えない大きな子どもたちの晩餐会が開かれていた。
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