プログラム・プロブレム

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 アリスは跪いてゆっくりと時間をかけて祈りを捧げた。それから立ち上がって涙を拭った。 「父さんが四十歳を迎えずに死ぬとは思わなかったわ」 「どういうことか説明してもらえますか? アイカさんはわたしに――いえ、わたしたちにうそをついていたことになります」 「あら、そんなことないわ。父さんは眠っていると言ったのよ」 「アイカさんっ!」 「可愛い顔が台無し……ちゃんと話すわよ。そもそもそのためにここに連れてきたんだから」 「……お願いします」  アイカは墓石の前にべたりと座った。そして煙草を取り出して咥える。 「きっかり二十年前、父さんは崖から落ちて死んだ……私の目の前で雪に足を滑らせたのよ。屋敷の裏の斜面でね。遺体は見つけ出せてない。きっと雪の奥深くで凍ってるわね」 「二十年前って……お父様がその名を世界にとどろかせる前……どういうこと……」 「母親はいなかったけどひとりで生きていけたわ。当時私は十四歳だったけど、生活力があったのね」  アイカは偽物の青空に向かって紫煙を吐く。 「なぜお父様を生きているままに仕立て上げたんですか」 「父さんはまだ研究の成果を出せていなかった。誰よりも研究熱心だったのに。こういうのを非業の死って言うんでしょうね。祖父から継いだ屋敷だけが残ったわ」 「答えになっていません」 「私はね、どうしても父さんに研究に結果がでて欲しかったの。努力をしたひとが報われない世界なんて生きている価値がない……あなたはそう思わない?」 「努力の量と結果は必ずしも比例しません。それは過去のデータから明らかです」 「キュートな顔して案外ドライね」 「冷たい女はモテるってお父様が言ってましたから」 「母さんが……そういう人だったらしいわね。いずれにせよ、私は父さんの研究の成果をどうしても出したかった。出て欲しかったの」 「……なるほど。アイカさんはケン・アサクラの名前で数々の論文を発表した。そして特許をとり莫大な財産を得た」 「ご明察。父さんはやはり天才だった……研究データを見た私は驚いた。ほとんど完成しているんだもの。私はちょっと――そうね、完成された料理を盛り付けたくらいなもの」 「ずっとお父様を名乗って世間を騙すなんて……アイカさんは希代の大うそつきですね。でもまだ疑問があります。なぜアイカさんは今頃になってお父様が危ないと噂を流したんですか? 生きていたらまだ五十代です。寿命にはちょっと早くないですか?」 「なにごとも区切りって必要よね。子どもが学校を卒業するように、シリーズものの最終巻のように」 「本当のことを話してください」 「鋭いのね……頭数が必要だったの。父さんの最後の目標を叶えるための、実験データが必要だった」 「頭数? もしかしてお父様の子どもと名乗るあの人たちのことですか」 「なにも人体実験をするってわけじゃない。ただこんな山の奥じゃ本物の人のデータはとれないから。財産目当ての人たちが必ず来るだろうって、私は人間の醜さに賭けた」 「そのお父様の最後の目標って?」 「完璧なヒューマノイドロボット。それが、人間が好きだった父さんの最後にして最も重要な研究テーマだった」 「…………」 「完璧なロボットを造るのは宇宙のすべてを知るくらい難しいことを知ったわ。父さんのデータには唯一のプロトタイプの設計図があったんだけど実物がどこにもなかった。その通りに私が作っても同じように作ることができなかっ……」  アイカは言いかけて、なにかに気がついたようにアリスの顔を見上げた。そしてふと笑った。 「……アリス、そっか……あなたは……ふふ。だから見覚えがあったのね。設計図に書いてあったわ」 「そうです。アイカさん、わたしがケン・アサクラが造ったヒューマノイド・ロボットの試作機……アリスⅠ型。アリス・アサクラです」 「父さんの娘というのは本当だったってことか――当時の父さんは私にほとんど研究内容をみせてくれなかったからあなたのことを知らなかったのね」 「わたしがお父様の実験室から出たのは旅立つ日の夜中だけでした。堂々と玄関から出発しましたけどね」 「でも、ちょっと待って。あなたが人間のようにふるまっていたのはなぜなの? 人間だといううそをつく必要がどこに?」 「お父様に命令されていたのです」 「……父さんに?」 「はい。わたしがロボットだということがばれたらバラバラに分解されると……わたしの命に危険が及ぶと。だからわたしは誰にも身分を明かすことはありませんでした」 「ロボットもうそをつくのね……でもいま言っちゃったじゃない」 「はい、だからわたしはプロトタイプ――命令を完璧に忠実に従うことのできない、出来損ないの試作型。アリスⅠ型なんです」 「……そうか。完璧な人間なんていない……出来損ない……それこそが人間」 「アイカさん?」 「父さんの研究はもう完成していたんだ……私は完璧な人間という定義が、完全無欠という意味で捉えていた。そうじゃない。人間はあくまで人間であって、必ず間違いを犯す。――うん。アリス、あなたは人間かもね」 「いえわたしはロボットです。だって極度の寒さを感じたとき感覚をシャットアウトするようになっていますよ? 体力が切れそうになったとき予備充電に切り替えます。記憶は永久メモリに保存されます。それのどこが人間ですか? わたしはロボットです。……お父様が生んでくれたロボットなのです!」 「……そっか。あなたはロボットであることに誇りをもっているのね。ロボットでいて、でも、あなたは心が痛くなって涙を流す。ただ命令に従うだけじゃなくて自分で判断できる。人間みたいなロボット……。そして父さんの娘であり――私の妹」 「……そうです。わたしはロボットであり、お父様の娘であり、アイカさんの妹です」  ふたりはちょっとのあいだ見つめ合う。  そしてアイカが言った。 「最後にひとつだけ、腑に落ちないことがあるの。私が一人娘だと言ったとき、あなたはそんなはずがないと言った。確かにそれは本当だったけれど、あなたが娘ではなく例えば――父さんの知人だとうそをつけば私と言い争いをせずに済んだ……そうしなかったのは、一体なぜ?」 「それは簡単な理由です」  アリスは困ったように笑って言った。 「――お父様の娘ではないってうそは、どうしてもつきたくなかったのです」 「……そっか」 「はい」 「ねえ父さん。私、妹がいたんだね……教えてくれてもよかったのに。でも……私に家族を残してくれて……嬉しいよ。父さん、ありがとう」  墓石に手を合わせるアイカ。  同じようにアリスもして、父親の冥福をふたりは祈った。
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