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第3話 苛立ち
「おい、ちょっと落ち着けって!」
月のない夜空の下、視界が悪い中でも夜目の利く夢魔は焦った様子で千流が振り下ろした刀の切っ先をかわす。
刀を返してそのまま上に斬り上げると、「うお」と悲鳴をあげてランフランクは上体を反らず。手応えは僅か、彼の髪に何本か届いたようだ。
戸惑うあまり避けることに精一杯らしく反応が鈍い。やはりただの淫魔――容易く殺(や)れそうだ。
千流は後ろに体勢を傾けた彼から一度、一歩バックステップし、彼の身体の中心へ鋭い突きを繰り出した。
ギリギリで千流の攻撃を身体を横にしてかわしたランフランクの制服のブレザーの胸元が口を開けたように裂ける。ショックを受けたようにランフランクは嘆いた。
「おっ、お前……っ、新学期早々にこれって。明日からどうすりゃいいんだよ! 弁償しろ!!」
「あんたがここでやられればいいでしょ!?」
「退魔師同士のドンパチは禁止って師匠から教わらなかったのか!?」
「誰が認めるもんですか! 夢魔が退魔師なんて――!!」
喚きながら刀を振り回す千流。周囲結界に囲まれながら、なんとか彼女の攻撃を避けるばかりのランフランクから、舌打ちと共に下段蹴りが放たれる。攻撃のモーションの無駄を一切なくした、音のない速く鋭い蹴りだった。
「っ!」
なんとか身体を丸め回避に成功した後に、千流はカッと頭に血が昇るままに彼の首に突きを繰り出す。ランフランクの身体が先程より大きく後ろに反って、刀の先は空を切った。
『おい。誰かいんのか?』
不意に背後から聞こえた――男子の声。一般人に見つかったかと焦り慌てて刀を引っ込めようとした彼女の手から、刀が飛んだ。
驚いて視線を前に戻して、一拍後。ランフランクの長い足がバック転する際に千流の右手を上に蹴り飛ばしたのだと、彼女は気づいた。
「ちょっと!」
「お疲れさん」
ランフランクは地に落ちた千流の刀を拾い上げる。汚い夢魔の手で自分の得物に触れられたことに嫌悪し、「返しなさいよ!」と武道で取り返そうとするが、彼女の洗練された拳が届く前に、空に向かって彼は千流の刀を放り投げた。
千流の刀はランフランクたちの頭上にある結界の源、退魔の札を貫き、それが貼られていた校舎の壁に突き刺さる。
そして綺麗に千流の拳をかわし、蹴りを上に飛んでかわすと、そのまま背中から生えた黒い羽で彼女の届かない空中へ逃げた。
「じゃーなー」
「なによ! 逃げる気!?」
片手を上げて飛び去ろうとするインキュバスに向かって、まっすぐ千流は挑発的に睨み上げる。
「なにが空手部主将よ! 意気地無し! 負けるのが怖いんでしょ!?」
「……」
「所詮、インキュバスね! どうせしょーもない下ネタで頭一杯だから私に勝つ自信ないんでしょ!?」
攻撃性を隠そうともせず苛立ち全開の千流を、ランフランクは眉間を寄せたやや苦い面で彼女を見下ろしている。
なにかを言い返すわけでもなく、自分の様子をじっと見ているだけのランフランクがなにを考えているのか察することができず、更に千流の苛々は募るばかりだ。
更になにかを言ってやろうと口を開きかけたとき、ランフランクは、地上にいる彼女に聞こえるように大きな声ではあるが、同時に静かさのある輪とした芯のある調子で、
「……お前。師匠変えろ」
と言い放った。
「……は?」
「退魔師同士でやりあうのはご法度だっつぅのは、現代で退魔師が減ってきてるからって背景があるらしいな」
「……だからなによ!?」
「その反応ってことは、お前もそうやって言われて鍛えられてきたんじゃねえのか」
「あんたは正当な退魔師じゃないもの。人間じゃないから」
「お上が少なくなった正当な退魔師だけじゃ人間を守りきれねーと考えてるから俺たちみたいな奴も受け入れてんだろーが。
――お前に聞くが、お前の師匠もお前みたいな時代錯誤な奴で、師匠の教えで俺を襲ってんのか? それとも、師匠なんざ関係なくお前の意志で俺を襲ってんのか?」
「……」
「もし後者で、今の行動が師の教えに反する行動だったとしたら。お前は師に対して相当不満が溜まってるとしか思えねえ」
不満――。
ズキリと千流の胸が鋭く痛み脳裏にちらつくのは、暗い顔をした姉の顔と、それを見て『仕方ない』と簡単に切り捨てた両親と祖母。
「あんたに、なにが――」
「じゃあ八つ当たりはナシだな。てめえの問題はてめえで解決しろ」
唇を噛みしめ、千流は拳を握りしめて俯く。
白く血の気を失うほどに握りしめられた華奢な彼女の手から離れた彼女の刀は、月も陽の光もない暗闇の中――反射する光もなく、重く彼女の届かない校舎の壁に突き刺さったままだった
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