第4話 あいつにはわからない

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第4話 あいつにはわからない

 暫しの思案の後、顔を上げると、空にランフランクの影は既に無かった。  千流は下唇を噛みしめ、自分の不満を指摘した奴の台詞とその時の顔を思いだし、虚空を睨んだ。  気楽で奔放な淫魔が、背負うものの重さも知らず偉そうに言ってのける――腸が煮えくり返る思いだ。  扉を乱暴に開け、家に帰った千流。 「なんです、騒々しい。扉は静かに閉めなさい」  日本式の玄関の端から、厳格に眉をひそめた着物姿の祖母が現れた。  当主は父ではあるが、阿山狩家で未だ絶対の権力をもっている彼女には逆らえない。千流は怒りを収めて祖母に謝る。 「そろそろ夕食の時間です。早く上がりなさい」 「はい」  曲がっているところなど見たことのない、しゃんと伸びた祖母が消えていくのを横目に、千流は革靴を脱いで揃えて立ち上がった。  自分の部屋に一度退魔道具を置きに行こうとした途中、姉の千幸が自分の隣の部屋から出てきて「ああ」と自分を見て声をあげた。 「どうしたの? 遅くに外出なんて」 「……なんでもない」 「なんでもないなんて、そんな――退魔道具まで持って?」 「じゃあ、後で話す」  自分と弟は姉にはとことん弱い。問い詰められたら結局どんな隠し事も自分から吐いてしまうくらいに。  心配そうな顔をしている姉を通りすぎる――と見せかけて、目は自分の部屋のドアに向けたまま腕を後ろに伸ばし、彼女の後ろを気配を殺し通りすぎようとしている中学二年生の弟、千広(ちひろ)の首根っこを千流は捕まえた。 「え……なに?」 「あんた。食後に私の稽古に付き合わない?」 「……嫌だよ。千流姉(ちるねえ)おもいっくそフキゲンじゃん。発散相手のサンドバッグになんのは勘弁」  流石、よくわかっている。不機嫌な次女には絶対に近づかない。というのは長年の経験なのだろうな、と他人事のように千流は考えながらも、しかし他人事なので、千流は溜め息を吐き出した。 「この家の次期当主のあんたのためを思ってるの」 「嘘。絶対嘘」 「いいから夕飯食べたら稽古場に来て。あんたに拒否権はない」 「千幸ねーちゃーん!!」 「千流。愚痴なら後で私がいくらでも聞くから、ヒロ君いじめるのはやめなさい」  騒ぎだした弟に、ドアを閉めるタイミングを逃して弟妹たちを静観していたかけた千幸は、千流を宥めた。 「インキュバスぅ?」  胡座をかいた姿勢で千広が聞き返す。  食後、三人は入ってもまだまだだだっ広い阿山狩家の稽古場で千幸と千広は千流の話を聞いた。 「なんか、成績優秀で空手も強くって男女から人気があるとみたいだけど、インキュバスよ!? 絶っっ対、変な術でズルとかしてんのよ! そうでなきゃ、そんなわけあるはずがないわ……!」 「……まあ、確かに誘惑とか使いそうだもんな。ゲームとか漫画的に。  あ――ってことは、誘惑使いまくって人間の女の子侍らせてウハウハハーレムってやつ?」 「だとしたら、許せないわ! やっぱり私が相手を討たなきゃ」 「ぐぬ……許せん! 許せねえな!! そんな妬ま――いや、うら、違う、非道な奴ほっといちゃ駄目だぜ千流姉!!」  「俺も応援するぜ!」と拳を握り次女を応援する千広に、ちらちらと弟のしょうもない本音を垣間見てしまったことで少しだけジトリとした目線を送っていた千流だが、「まあまあ」と静かに口を開いた姉に目を向ける。 「でもその夢魔、師がいて正式に退魔師として登録されてるのよね?」 「そーみたいだけど」 「信用ランクもまあまあだし、千流の想像しているどおりの悪魔なのか、まずは様子を見ましょう?   私たちの家は、すべての魔にあまりいい感情は抱いてはいないけど……ヤブヘビなんて言葉もあるのだし、ね?」 「……でも、認められないわ。夢魔が退魔師なんて。生意気よ」  長い横髪をかき揚げてむくれる千流。しかしその時、千流も千広も気づかなかった。なだめる姉の千幸が、ふと、半ばなにかを考え込むような目をしたのを。  そして――遠巻きから気配を殺し自分たちを見つめていた祖母の目も。それに一人だけ気づいて、逃げるように顔を俯いた千幸の様子も。千流は何一つ、気づかなかった。  千流の愚痴も終わり、千流と千広が先に稽古場から出ていく。 「千広」 「! ばーちゃん」  廊下の角の影から姿を現した祖母が、「風呂の時間だよ」と千広に告げる。 「早く入ってしまいなさい」 「はーい」  返事をした千広と、千流が祖母の横を通りすぎる。  祖母はそのまま、弟妹の後ろを数歩遅れて着いてきた千幸の前に立ちはだかった。 「……変な気を起こさないように」 「……なんのことでしょう」 「運命です。……つらいでしょうが、受け入れなさい」  それだけ言って、千幸から祖母は踵を返し去っていく。  千幸は長い睫毛を伏せて、唇を噛みしめた。
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