噓つき

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噓つき

 立ちあがり,愛子の姿を求めた。紫の袍に紅の襲をあわせて白の指貫を着用する巨体も反応し,人の視界を遮断する。 「兄とそうした仲なのですね」巨体の背後で愛子の声がした。 「そうした仲?……違う! 違うよ!」巨体を迂回し視線を飛ばそうとするも,動く壁が俺の前にたちはだかるのだ。 「大切な人との時間を邪魔してごめんなさい。でも兄さんの助けが必要なのよ。兄さんが戻って組をたてなおしてくれないと,私は流星(ながれぼし)一家にひきわたされて一生 奴隷の身分で生きていくことになるわ」 「我が珠緒(たまお)よ――いざ館へ入ろうぞ」妹の話にまるで頓着せず,生優しげな眼差しと口調で俺の手をとる。 「それは違うだろ――」保輔の手を払った。「妹が頼ってきてんだぞ。すぐに助けなきゃ」  冷酷な視線が降っておちた。 「この女の前世は女賊よ――1度は命を救うたものの,面倒になったゆえ,弄んだのちに斬って捨てたが,恨みを断ちきれず転生したのだ。すなわち我を滅するために,この女は存在しておる」 「兄さんの噓つき!――」愛子が背をむけて駆けだした。あとを追いかけようとすれば保輔に腕をつかまれる。逆に腕をとって投げとばしてやった。  コガネがすぐさま救出にむかう。「頼む,コガネ!――今度だけ俺のほうの言うこと聞いて」  コガネは前のめりになって猛進にブレーキをかけると,おろおろ鼻先を迷わせていたが,骨の音を軋ませ主人が落下するなり,黄金の微粒子と化し瞬時に搔き消えた。  愛子を追って築地塀の角を曲がった。  築地塀ぞいに雑木林へのびる細い砂利道が続いていた。砂利道と泥水の淀む溝を隔ててくだりの傾斜地が広がっている。その大半は橙の火芯を時折覚醒させる焼けただれた地面を露わにしているが,一部は未だ人の背丈ほどの雑草におおわれ,濃厚な煙を吐く炎に抗っていた。  愛子の姿は既に見えない。  野焼きする男たちの話が耳に入る。「ケンザブロウは臓器売買のルートに乗せられたとよ」「シャブ中毒の野郎に売れる部分があるのかね」「てめぇらだって一緒だべ」「シャブ漬けになってなきゃやってらんねぇ」「ちょっと融通してくれよ」 「2人は保輔に雇われてるんですか」  男たちは話を聞かれていたことに気づき,ひどく狼狽した。 「今の話は何です? 臓器売買とか,シャブとか――まさか保輔がそんなものに関わってるはずありませんよね」 「臓器を売りたき者があれば手引きもしてやる。薬の欲しき者があれば与えてやるまでよ」  保輔が俺を見おろしていた。 「だ,旦那……」男たちが跪く。 「なれどもよ――館に置いてほしくば,口を慎むことだ」顎をしゃくる。  男たちが十能を抱えて立ちさっていく。 「指名手配犯らしい。匿っておるのだ」 「何でそんなこと」 「決まっておろうが。人助けにて」  1発お見舞いした。 「おまえ――俺を騙してたんだな」 「はて面妖な。我が何を?」 「ヨリマシノモリ教団の一件で心をいれかえたんじぇねぇのかよ」 「危うき仕事はやめた。命は大事にしておるぞ」 「汚ねぇ仕事してんじゃねぇよ!」 「人助けゆえな」 「人助けになんかなんねぇ! そんなに割がいいのかよ! 俺の紹介する仕事には見むきもしないくせに!」 「自らの申し出を拒まれたことに機嫌を損ねておるのか? おこがましきも,いとろうたし」  顎ににゅっとのびてくる指を,摑んで捻りすてた。 「終わりだな――」 「珠緒?……」 「おまえが真面目に生きてくって思ったから俺は協力することにした。でも(なん)にもかわっちゃいねぇ。おまえは最悪だ――たった今から縁きりだぜ」 「さように容易く絶ちきれる(えにし)ではない」 「ほざいてろ」保輔を残して歩きだした。 「そなたは我と契約を交わしたぞ。あの書面に記された事項を忘れたか」  やたら長い文章を書きつらねた契約書だった。億劫だから,はなから読む気などなかった。 「契破りしときは身も魂も捧ぐ――とあるが,承服か?」  アホか。てめえに俺をどうこうする力なんてねぇよ。 「今のそなたは甚だ脆い。刀も鎧も(うしの)うた手負いの(つわもの)よ。何処(いずこ)を攻むればよいか我には露わに見える――女か」  足をとめて振りかえってしまった。 「この(うつ)けめが。分別すら失するとは――言うたであろう。愛子は我のいたぶりし女盗の転じたアヤカシじゃ。そなたの思い人の生まれかわりなどではない」 「うっせぇ! 大噓つきめが!」  保輔を死ぬほど殴って家まで戻った。仕事は休む。自分の心もぼろぼろだった。
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