3 征士くんのテニス部入部

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3 征士くんのテニス部入部

 翌日。征士くんは車の中でお弁当箱を返してきた。 「どうだった?」  一応毎日、彩りには気を配っている。昨日はブロッコリーとトマトのサラダ、出汁巻き卵、鶏のから揚げなどだ。 「すごく美味しかったですよ。特に出汁巻き。綺麗に巻いてあって、食べるのがもったいなかったです」  笑顔で答えてくれているので、本心のようだ。私は胸を撫で下ろした。 「良かった……。他には? 嫌いなものとかは?」 「好き嫌いはないですけど……強いて言うなら、量が少なかったです」  私はびっくりした。男の子用にと、多少大きめのお弁当箱に入れていたからだ。 「量……盲点だったわ。ごめんなさい、今日も昨日と同じくらいなの」  明日からは気を付けるから、と今日のお弁当を渡す。成長期なのね……とまだ、私より僅かに身長の低い彼に目を向けた。 「お友達は出来そう?」  初等部からの内部進学生も多いので、不安になって尋ねる。公立学校へ行くはずだった彼は、校風に馴染めるだろうか。 「あ、外部からの奴と一緒にテニス部入ろうかって話をしてたんです。今日、放課後に二人で見学に行こうかって」  どうやら友達も出来ているようだ。安心した。 「月乃さんは部活は? あ、三年生だから受験ですか?」 「私は習い事があるから、部活には入らなかったのよ。受験といっても内部進学だから簡単なテストだけだし。本が好きだから、文学部へ行きたいと思っているの」  小さい頃から花嫁修業。洋裁、和裁、料理、洗濯や掃除のコツ。先生に来てもらったり、お手伝いさんから学んだり。どれだけ血筋を残すのに必死なのかしら。  家政科を目指しても良かったけど、学生最後くらいは好きなことをしたい。『源氏物語』や『枕草子』、『平家物語』に『徒然草』……中古・中世文学辺りが特に好きだ。 「本が好きなんですか。僕は漫画ばかりだなあ」 「漫画も好きよ? お薦めがあったら教えてね」  笑いながら答えると驚かれた。 「え、漫画読むんですか?」 「勿論。お友達と貸しあったり」  専ら少女漫画だが、征士くんなら少年漫画が詳しそうだ。 「じゃあ、僕達も貸しあいっこしましょう。今度持ってきますね」 「いいけど、少女漫画ばかりよ?」 「それがいいんです。お互いの趣味がわかるから。僕だって少年漫画ばかりですよ」  兄のもあるからいっぱい持ってます、と征士くんは胸を張る。 「それはいいわね」  私達は少し、仲良くなれたような気がした。  ♦ ♦ ♦  予知夢を視た。  征士くんがテニスコートの上でラケットを掲げて、嬉しそうにギャラリーに手を振る夢。  ……ハズレか。ありえない。  今度の夏のテニスの大会で征士くんはベンチ入りを果たしたが、出場する訳ではない。  それはそうだ。経験者でも一年生なのだから。  彼は思っていた以上にテニスが上手かったらしい。中等部ではちょっとした噂になっているらしく、練習を見に女子が集まるそうだ。  さすがに高等部の私が見学に行くのは気が引けていたのだが……。先程の予知夢が脳裏をよぎった。 「行ってみようかしら」  お弁当を差し入れに行って、ユニフォーム姿を見るくらいは構わないだろう。早速征士くんにメールをしようと、携帯を手に持った。  メールで日時と場所を知り、大きなバスケットいっぱいにサンドイッチを詰め、テニス大会の会場へやってきた。大量のサンドイッチは、中等部のテニス部の皆さんへの差し入れだ。  掲示板で美苑大付属がどこのコートか確かめ、屋外の奥の第一コートを目指す。やがて学校指定の白地に紫カラーのウェアの集団を見つけた。  ……見つけたはいいが、思わぬ結構な集団に声をかけるのを躊躇う。一番端にいたひょろりと背の高い男子生徒に、おそるおそる話しかけた。 「あの、美苑の中等部の方ですか?」  麦わら帽子を片手で押さえ、声をかけると、男子生徒は振り返った。 「はい。そうですよ」 「あ、良かった。私、高等部の虹川といいますが、まさ……えと、瀬戸くんいますか?」 「え……瀬戸を? んん、虹川……」  彼は一瞬訝しげに私を見下ろした後、ぱっと明るく笑った。 「ああ、『月乃さん』でしょう! いつも瀬戸の弁当作っている!」  突然の大声に私は仰天した。何故、私の名を! 「初めまして、虹川先輩! 俺、瀬戸と同じクラスの深見(ふかみ)っていいます」 「……深見、くん? 瀬戸くんのお友達?」 「はい、いつも一緒に弁当食っています。瀬戸ですね? ちょっと待っていてください」  元気な声を響かせて、深見くんは輪の中に入っていった。  びっくりした。急に名前を呼ばれるとは思わなかった。でも、そっか。征士くんのお友達……。  どういう話をされているんだろう。  やがて征士くんが深見くんと一緒にやってきた。 「月乃さん!」  征士くんが駆け寄ってくる。紫のグラデーションのウェアがとても似合っていて格好良かった。  五歳も下なのに、色気すら感じて少々気恥ずかしい。私はずいっとバスケットを押し付けた。 「これ、サンドイッチ。たくさん作ってきたから、テニス部の皆さんにどうぞ」 「ええ? 僕だけじゃないんですか……」 「いっぱいあるから。好きなだけ食べて?」  すると、ひょいっと深見くんがバスケットを取った。 「皆ー!! 『月乃さん』から差し入れ!!」  集団がざわっと一斉にこちらを見た。 「ええー、めっちゃ豪華な弁当の『月乃さん』?!」 「綺麗な出汁巻き卵の!」 「から揚げがすっげえ美味い『月乃さん』!」 「ちげえよー、ポテサラが一番だよー!」  バスケットの蓋を開け、次々に手が伸びる。 「あっ、卵サンドだ!」 「ツナも美味いー!」 「サーモンサンドだ! ラッキー」 「トマトとチーズも美味いよ!」  ……バスケットの中はあっという間に空になってしまった。征士くんは一つも食べられなかった。中等部男子の胃袋を甘く見すぎていた。 「僕のお昼……」 「……ごめんね、近くで買ってくる。って『お弁当の月乃さん』て、何……?」  照り焼きチキンサンドをかじっていた深見くんが、軽い調子で答えた。 「だって毎日学食でやたら豪華なお重の弁当食ってるんだもん。母ちゃんに作ってもらってんの? って訊いたら、高等部の『月乃さん』にって。ちょっともらったらメチャ美味い! テニス部中がファンですよー」  何で名前言っちゃうんだ……! 恥ずかしすぎる。 「せめて、中等部の中で呼ぶときは『虹川先輩』でお願い……」  私の呟きは、果たして征士くんに届いていたであろうか……。
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