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カガヤの唇から一瞬、笑みが消える。
しかしすぐに、実家の犬っころのようなアホ面で笑った。
「そうだよー。朝日町二十二の三の四、パークアベニュー四〇一号室」
「……そりゃ、いいところにお住みで。せいぜい気をつけて帰れよ」
「ねぇ。私、毎晩セノくんのあとつけてたんだ。気づいてたでしょ?」
——え?
唐突にそう言われ、息が止まった。
振り返ろうとしていた、足も止まる。
そして同時に、心臓も止まりそうになった。震えそうになる体を、力を込めて止めるので精一杯だった。
もう一度彼女の方に向き直る。
背後の街灯に照らされて、その表情はよく見えない。
「……お前、だったのか?」
「そう」
「半年くらい前からずっと、会社帰りに……」
「そうだよ」
「……本当に、お前が?」
「そうだってば」
嘘だろ、と呟いたけれど、カガヤは何も言わなかった。思わずごくり、と唾を飲む。
ずっと悩まされて続けていた。
馬鹿馬鹿しくて、こんなことで悩みたくなんかなかった。いつも後ろからついてくる、あの甲高いヒールの足音。
はじめは、ただの偶然だと思っていた。
俺と同じように仕事から帰宅する女性が、たまたま俺と同じ通勤路にいるだけなのだと。でも違う。あの足音はどこまでもついてくる。どの時間帯でも、どんなに遠回りしてみても、きっかりうちの、目の前まで。
カガヤが。……あの、カガヤが。
そんな、ストーカーみたいなことを?
「……どうして、そんなこと」
「好きだから」
カガヤは間髪入れずに答える。思わず、は? と声が出た。
カガヤは不意に走り出し、俺から離れていった。
そして十メートルほど進んだところでまた振り向くと、大きく息を吸って、住宅街の隅々まで届くかのような大声で叫んだ。
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