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僕と狸令嬢の婚約破棄奇譚
「メリンダ・フランシス! お前との婚約を破棄する!」
僕の高らかな宣言に、辺りは水を打ったように静まり返った。
だが、それも一瞬のこと。次の瞬間、広間は爆笑の渦に包み込まれた。
「エドモンド殿下……何回目の婚約破棄宣言ですか」
侍女のマーシャは目の端に笑いによる涙を浮かべながら、横にいるメリンダを見た。メリンダは冷静に淡々と述べる。
「確か、九十九回目ですわね。──殿下、私との婚約に不満をお持ちであることは重々承知しております。殿下は十二歳、私は二十歳。八歳も年の差があるのですから。ですが、どうか諦めてくださいませ。政治的な事情が絡んでいるのです」
「違う! 僕は年の差はどうでもいいんだ! メリンダ、お前、お前は……!」
──化け狸! 何度そう言いそうになったことであろうか。
比喩ではない。現に彼女の長い金髪の間から狸の耳が生えている。どういう仕組みなのかはわからないが、ドレスのスカート部分から茶色の尻尾も見えていた。
「まだ殿下は私のことを至らないと仰るのでしょうか……」
悲しそうに青い瞳を伏せるメリンダの姿は、耳と尻尾さえなければ、儚げな美女と評してもよく──そうして、周囲の同情は彼女に集まるのである。僕は置いてきぼりにされる始末。
「殿下、メリンダ様のどこが嫌だというのです!? ああ、こんな美しいご令嬢に向かって……。早く婚約破棄を撤回してください!」
「マーシャ! お前こそなぜあれが見えないんだ!? お前の目は節穴か!」
「『あれ』とはなんですか? 殿下は幻覚でも見ているに違いありません」
僕が何を言っても、マーシャや他の者たちはこんな調子で、メリンダの耳や尻尾が見えていないらしい。婚約して早三年経つが、婚約当初は驚愕したものだ。
「お、お、お、お前が僕の婚約者だというのか!?」
「はい、メリンダ・フランシスと申します。以後、お見知りおきを」
僕の婚約者と名乗った彼女には、狸の耳と尻尾が生えていたのである。これが驚かずしてどうするというのか。
慌てて父王を見るが、何事もないように平然と後ろに一人の臣下を控えさせていた。そして、僕は見つけた。臣下に、狸の耳と尻尾があるのを。
「ち、父上! この者たちは一体どこのどいつですか!?」
メリンダと臣下を指差して尋ねると、父王はなんの疑問を持った様子もなく、ただ穏やかに笑った。
「こら、いくらお前が幼くとも、言っていいことと悪いことがある。宰相のフランシス侯爵とご令嬢だ。八歳差という、いささか年の離れた婚約になるが……。お前は次期王なのだから、それに相応しい礼儀作法を学んでおり、教養もあるメリンダ嬢が王妃となるのが一番なのだ」
「ですが、こいつらはどう見てもおかしい……!」
僕の心からの文句は、父王によって制された。
「エドモンド、口を慎め。年の差婚に拒否感を覚えるのはわかるが、不躾に他人を貶すものではない。彼らのどこが不満だというのだ?」
「そ、その……」
「やはり年の差が気になるのか? 王族なのだから、婚約についてはわきまえるがよろしい」
年の差以前の問題だー! と叫びたいのをこらえる。父王は彼らの耳や尻尾に違和感を抱いていないらしい。僕の見間違いかと何度も目をこするが、何も変わらないまま。
父王は肩をすくめると、話を切り上げ、臣下とともに去っていった。僕とメリンダが残される。
「こんな婚約は破棄だ──!!」
思い返せば、メリンダに対しての第一声は一回目の婚約破棄宣言だった。
♦ ♦ ♦
九十九回目の婚約破棄も無効にされ、僕は途方に暮れる。──彼女はまた何かやらかすのだろうか。今から頭痛がする。
メリンダはとにかく挫けない。僕が婚約破棄を言い渡すたびに、何か自分に不備があるのだろうと思うらしく、新たな特技を身につけてくる。詩歌であったり、舞踊であったり、挙げると枚挙にいとまがない。そうして、より完璧な令嬢となり、僕は婚約から逃れられない窮地に立たされる。
「化け狸だ」と言ったところで、もしかするとメリンダと宰相以外に仲間がいるかもしれないので、迂闊な言動は躊躇われた。狸に命を脅かされては、たまったものではない。
考え込んでいると、自室の扉がノックされたので、僕は入室を許可した。入ってきたのは、案の定メリンダだ。大きな皿を持っている。
「エドモンド殿下。クッキーを焼いてみましたので、よろしければお召し上がりください」
手作りらしい菓子から甘い匂いが漂い、僕は思わず唾を飲み込む。勧められるままにクッキーに手をつけると、それは今まで味わったことのない極上の味がした。
──菓子作りの腕前まで上げるとは。でも、耳と尻尾はそのままだぞ。
「美味しいが……僕の婚約破棄の意思は固い」
「……そうですか。ですが、私は殿下と添いたいと思っていますので」
百回目の婚約破棄宣言がいつものように流され、僕は深く溜息をついた。このままでは、狸が王妃になってしまう。無駄とは知っていつつも、僕は父王に面会を求めた。もちろん、化け狸と結婚しないために。
「父上、お話が」
「なんだ、エドモンド。私は今忙しい。話は手短にな」
父王は大量の札束を執務机の上に載せていた。財政難である我が国には似つかわしくない光景である。
「父上こそ、どうしたのですか。その札束は……?」
「ああ、王妃が宝石を欲しがってな。宰相に融通してもらったのだ」
「宰相に……?」
訝しく思い、札束を手に取ると、それはあっという間に木の葉になった。
木の葉を札束に変えるのは、狸の得意技ではないか! あまりのお約束な芸に、がっくり僕は項垂れる。
「……父上。母上の浪費癖を止める目的で、宰相が木の葉を札束に変えたのです」
「なに? そんなわけが……って、ああっ!」
僕が札束に触れると、それらはすべて木の葉に変化した。きっと宝石商が手にしても同じことだっただろう。
「父上、宰相もメリンダも信じないでください。もうご存知のことでしょう?」
「そんなはずはない。非常に有能な宰相とそのご令嬢だ。これは何かの間違いに決まっている……!」
頑なに宰相親子を狸と信じない父王に呆れる。「非常に有能」か。その有能さで母上の浪費を止めたのは評価できるが──狸には違いない。
どうしたものかと父王の居室を出て、人通りの少ない廊下を歩く。一人だけで考え事をしたかったので、人気のない場所を求めて、庭園に出た。王宮の庭園は広大で、僕は奥まったところにある東屋に行くことにした。
「……父様……」
迷路のような茂みを歩いていると、聞きなれた声がどこからか聞こえてきた。その方向を目指したわけではないが、道沿いに進むと、声が近くなっていく。
「……ただでさえ、エドモンド殿下に嫌われていますのに、お父様ったら」
茂みの角に尻尾が見えた。あの尻尾は──。僕は身を潜める。
「しかしだな、メリンダ。これ以上、王妃様に浪費はさせたくなかったんだ」
「すぐにばれる木の葉より、宝石なら私が石から変化させましたのに」
「そうか、その手があったな。さっそく今から陛下のところへ伺おう」
茂みを方向転換する気配がする。僕は気づかれないよう、尻尾の持ち主である宰相親子の後をつけた。
「……でも、どうしてエドモンド殿下は私たちのことを不審がるのでしょうね」
「さあな? この耳と尻尾は赤子にしか見えないはずなんだが……赤子のように澄んだ心を持っている人間など、お目にかかったことはないしな。きっと、お前に至らないところがあるに違いない」
「至らないところ、ですか?」
「たとえば髪型を変えてみてはどうだ?」
「それはいい案ですね。私、殿下に気に入られるよう、頑張ります」
──やっぱり狸だったんだ! だけど、赤子にしか耳や尻尾が見えない? どうして僕には見えるんだろう。
澄んだ心を持っていると言われても実感は湧かないが、それにしても参った。僕以外、証明できる人間がいないではないか。父王やマーシャたちは論外だし……もう少し思案してみようか。
翌日。
髪を複雑に編み込んだメリンダが現れた。
「どうでしょう、殿下? この髪型はいかがですか?」
にっこりと髪に手をやるメリンダの姿に目眩を覚えた。
だから違う!
髪型云々の話ではなく、お前が狸であることが問題なんだよ!
努力の方向性が明後日を向いているんだ!
その翌日。
メリンダのドレスがマーメイドラインに変わっていた。
「いかがですか、殿下? このドレスは?」
ドレスのラインを見せるメリンダ。思わず僕はしゃがみこんでしまう。
だから違うんだって。七変化か!
髪とかドレスの話ではなく、お前が狸であることが問題なんだよ!
どうしてそこに気づかないんだ、この狸令嬢は。
僕は派手に溜息をつき、落胆を露わにした。
♦ ♦ ♦
気だるく自室の椅子に背を預けていると、開け放った窓から不思議な笛の音が聴こえてきた。荒んだ気持ちを抑えきれず、流麗な笛の音に誘われて、自室を出る。バルコニーのほうから聴こえてくるようだ。
バルコニーを覗くと、例によって耳と尻尾が見えた。風に煽られて、肩口で切りそろえた僕の榛色の髪が巻き上がる。
「……エドモンド殿下?」
「お前だったのか」
不思議な音色の笛を奏でていたのは、髪を夜会巻きにしたメリンダだった。
「いかがですか? この髪型」
「似合ってはいるが、髪型の問題じゃないんだ……。僕の婚約破棄の気持ちに変わりはない」
残念そうに肩を落とすメリンダは、化け狸なのがつくづく惜しいと思うくらい、見事な笛を吹く立ち姿である。僕はもう何も考えたくなくて、彼女の隣に行った。
「もう一曲吹いてくれないか?」
「わかりましたわ」
風向きが変わったと感じたのか、メリンダは年相応に嫣然として微笑み、横笛に口をつけて吹き始めた──その刹那。
「はあっ!!」
裂帛の気合いとともに笛を鋭く振った。笛に何かが当たり、からころと転がる。何が起きたかわからず、呆気に取られながら地面に落ちたそれを見ると、どこかから放たれた投げナイフだった。
「こ、れは……」
「殿下を狙った暗殺者がいるようですわね。私が供をしますので、安全な場所へ参りましょう」
メリンダは僕を運ぼうと抱き上げる。──力持ちだな、この狸は。バルコニーから廊下に移動したところで、急に止まった。
「まだ近くに暗殺者がいるようですわ。仕方ありません、じっとしていてくださいませ」
彼女は何やら怪しげな呪文を唱える。どこの言語かもわからないその言葉を唱え終えると、僕は薄い皮膜で覆い包まれた。
「一体なんなんだ、これは? メリンダ」
「頑丈な結界を張りました。この皮膜でナイフは防げますので」
メリンダがそう言うと同時に、僕の頭上で金属を弾くかん高い音がした。落ちてきたものを注視すると、先ほどと同じナイフ。笛を手に、耳と尻尾を揺らしてメリンダは走り去る。
僕は囲い込まれて身動きが取れなくなり、じっとその場に立ち尽くした。待つこと数分だろうか、息も切らせず彼女が帰ってきた。
「暗殺者は捕縛いたしました。殿下を結界からお出ししましたら、人を呼びます」
また何事か唱えられ、僕は自由になる。
いつもより神妙な面持ちのメリンダは──重大な告白をするように、僕の耳に囁いた。
「あの……結界が張れるわけは」
いったん言葉を切り、僕の瞳をじっと見つめる。まるで、覚悟を決めたような真剣な表情に、察した僕は不覚にも笑いが込み上げ──。
「それは……私が、狸だからなんです」
「知ってた」
いろんなことが馬鹿らしくなり、メリンダの滑らかな手を取った。
「なあ、メリンダ──メリー」
初めて愛称で呼びかけると、彼女は目を丸くして僕を見返した。ふさふさの耳と尻尾がぴんと立つ。
「やっぱり驚きましたか? エドモンド殿下」
「だからメリーが狸なのは知ってたって」
それから僕は照れながら頬を掻き、ぽつりと口にした。
「エディと」
狸でも美しい彼女に笑いかける。
「これからはエディと呼んでくれないか? メリー」
──僕の負けだよ、メリー。
有能な宰相より機転が利き、暗殺者を難なく退(しりぞ)け、頭脳明晰、容姿端麗、特技多数の愉快な王妃なんて他にはいない。僕はメリーをただ一人の女性として娶ることを決意した。
「エ、ディ殿下? あの……」
戸惑った風情のメリーと手を繋ぐ。その手はとても温かい。きっと僕は彼女を愛せる──いや、もう愛してしまっている。
ふと、メリーが吐息をこぼす。
「……私の想いは叶ったのですね、エディ殿下。ずっとお慕いしていました」
「メリーには参った。きみにはもう降参だよ」
僕はお手上げだと両手を挙げる。文字通り全面降伏だ。今の僕はメリーに惚れ込んでしまったのだから。
「降参なんて、とんでもないことでございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
ちょっとばかり好奇心が勝り、尻尾を触ると、くすぐったそうにメリーは身体を捩った。
「秘密ですわよ?」
「ああ、国家機密だ」
くすくすと笑い合い、僕とメリーは末永く仲良くすることを約束する。
僕が手を差し伸べると、彼女は可愛らしくはにかみながらその手を取った。廊下を仲睦まじく歩いていくさまは、人生の道をともにするようだった。
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