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好きは、好き
今止めなかったら、もう戻れなくなると思ったら、考えるより先に言葉が出ていた。
「ちょっと待って」
和実は足を止める。ダメだ、意味は無い。ノートパソコンのファンの音が、耳を裂くほど大きく聞こえる。
「だったら僕も伝えたいことがある」
伝えても意味は無いし、和実を困らせるだけだ。喉がカラカラに乾いてくる。
「何?」
和実は振り向いてこちらへ戻ってきた。このままの勢いで言葉にしたって、何にもならない。後悔するだけだ。緊張すると襟足を触る癖が出てきている。指に巻きつけて、強く下に引っ張ると、何本かの毛髪がブチブチと音を立てて抜けた。
「僕は絹ちゃんを好きじゃない」
「それはわかってるけど、今後もそうとは限らないだろ。その時、俺がいたら邪魔になるだろうし、気を遣って隠されたりしても、虚しくなるから嫌なんだ」
「今後も好きにならないよ」
また言葉が先に出てしまった。思ったよりも強くなってしまった僕の語気に、和実は驚いたように目を剥いた。ダメだ。
「どうしてだよ、あんなに可愛くて、あんなに明るくて」
目の前に僕がいるのに斜め上を見てそう話す和実の目の先には、絹ちゃんの姿があるのだ。強い嫉妬を感じた。それに対して、馬鹿みたいだと思った。
「そんなの関係無いよ」
苦しくて、自分を見て欲しくて、馬鹿みたいだった。
「優しくて性格も良くて、みんなからも人気があって」
これ以上は言わないでほしい、聞いていられない。喉が水分を欲している。
「そんな、お前には勿体無いような子から好きって言われて、心が動かない男がいるのかって、」
「俺が好きなのは和実なの」
和実の言葉を遮ってそう声に出した瞬間、色々な物が目に飛び込んできた。電気のかさに積もった埃、二人でプレイしようと思って出しっぱなしのままのゲーム機、テーブルの上の皿とフォーク、ティッシュの空き箱、貰い物のアロマキャンドル、先々月号のファッション雑誌、本棚の漫画、その全てが順々に色鮮やかに目に飛び込んでき目が回ったけれど、目の前にいる和実にだけは目を向けることができなかった。焦点が合わない。和実はどんな目をして僕を見ているだろう。軽蔑の眼差しだろうか、それとも憐れみだろうか。体の内側から後悔がどくどくと湧き出してきて胸を押し潰し、今にも溢れ出てくる寸前だった。
戻りたい。数分前に戻りたい。時間を戻して無かった事にしたい。繰り返し繰り返しそう強く願った。思いなんて伝わらなくてもいい。消えてしまいたい。
その沈黙がどれくらいの時間続いたかわからなかったが、口を開いたのは和実からだった。
「それは、どういう意味の好き?」
恐る恐るそう聞いてきた和実に、僕は半ばヤケになって、
「好きは、好きって意味だよ。大好きって事」
と答えた。だけど、自分としてはつっけんどんに伝えたつもりが、声が震えてしまった。顎が小刻みに震えて止まらない。相変わらず視点は定まらない。
「習、泣いてる?」
そう言われるのと同時に、涙が一粒目から溢れ落ちた。
「あのさ、そもそもの話だけど、絹ちゃんが僕の事を好きっていう話をさ、僕に直接言うのって、最低だと思うよ」
僕は精一杯強がってそう言った。
「…確かに」
和実は苦笑した。
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