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ズルい日々の終わり
結婚式の招待状が二人共に届いた時、血の気が引いた。愛し合う男女二人の結婚式に参加した和実がどんな感情になるかという事は、容易に想像が付いたからだ。その感情は、淡くて温くて少しズルいこの二人の日々に、小さくても決定的なヒビを入れる。愛を誓い合った男女が家族や友人から祝福され、その先に命を繋いでゆく。その一部始終を目にするのは、誰からも祝福されず、外で手も繋げない僕らだ。だけど、だからこそ、逃げ続け、目を背け続ける日々はここで終わりにしようと僕は人知れず決心した。勿論、和実にはそんな事伝えなかったけれど。
式で出会った絹ちゃんに顔を紅潮させた和実を見て、わかってはいたつもりだったけれど、胸が粉々になった。覚悟は出来ているつもりだったけど、いざ終わりが見えると怖くてたまらなくて、披露宴のフルコースが喉を通らなかった。隣の席の和実に余りをあげると、僕の気持ちなんて知らず、大喜びで食べて、ワインもガブガブ飲んでいた。
寂しいけれど、わからないふりをしていただけで、いつか終わりが来る事はわかっていたはずだ。和実が社会人になったら、外の世界を知ったら、それこそ時間の問題だ。僕と違って女性を愛する事ができる和実が、僕とずっと一緒にいてくれる理由はない。子供だって欲しいだろうし、和実のご両親も喜ぶはずだ。
いつかの夏の日、お洒落なコース料理を出すレストランに男二人では行きづらいから、家でフルコースを作ってみようと思い立って、紀伊國屋で食材や調味料を買い揃えたら、会計が二万円を超えた。それだけでフルコースを食べられる値段だったし、料理なんて得意じゃない僕らが見様見真似で作った水っぽいリゾットや焼き過ぎたフィレ肉はお世辞にも美味しいとは言えず、お金をドブに捨てたとお互い結構落ち込んだ。和実はその気になれば彼女と二人で美味しいレストランにご飯を食べに行けたのに、僕と一緒にいることを選んでくれた。貴重な人生の数年間を曲がりなりにもこんな僕に捧げてくれた。だからこそ、もう解放してあげてもいいのではないか。
結婚式の帰り道、家の最寄駅の二つ手前の乗り換え駅から歩いて帰る事になった。和実は酔いを覚ますため、僕は少しでも長く一緒にいるために、肌寒い線路沿いをゆっくりと歩いた。もう終電も近い時間なので、この道には薄暗くて誰もいない。
和実との時間を思い出そうとすると、どうしてか、楽しかった思い出しか出てこなくて、どうやっても「ありがとう」という感情しか湧いて来なかった。不安になった事や辛かった事を全て打ち消して無かった事にしてしまうほど、捲っても捲っても輝いたページしか目に浮かんでこないのだ。二人の関係がどんな結論になったって、裏切られたなんて思えない。今まで一緒にいてくれたことに対する感謝だけに包まれて、体温が上がっていく心地がした。
前を歩く和実が今どんなことを考えているのかはわからないが、僕のように過去の思い出を振り返ってはないだろう。自分の来るべき将来について、自分の幸せとは何かについて思いを巡らせているはずだ。
まずは、家の合鍵を返してもらおう。前を歩く和実にそう伝えようと、足元ばかり見ていた顔を上げると、和実もこちらを見ていた。こんなに真っ直ぐ、同じ高さで見つめ合ったのは久々な気がする。そう思った時、横の線路を大きな音を立てて電車が通過して、辺りが一瞬光に包まれた。
和実は僕に口づけをした。いきなりの事だったので目を瞑ることも出来なかった。
電車が通り過ぎた後も、和実は暫く唇を離さなかった。線路の向こう側の道を歩く人がこちらを見ている気がして、僕から唇を離した。
「酔ってる?」
僕が聞くと和実は、
「結婚式って良いなって思って」
そう答えて笑った。
「外でキスするなら、家を出る前に二人の儀式しておいた意味ないじゃん」
鼻の奥がグシュグシュする。きっと花粉のせいだ。
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