ここに、価値在り!

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 背中に感じる湿った土の感触、陰鬱な風の臭い、静寂を引き裂く鳥の鳴き声、見上げる空は鬱蒼とした梢に覆われて、今が夜だということを差し引いても尚、辺りは暗い。  仰向けに寝転がされ、動けぬままに椿は思う――きっと墓場の空気とはこんな感じなのだろう。  浄閑寺の裏山は遊女の投げ込み処だ。華やかさで有名な吉原の女たちは、寿命が短いことでも知られている。死因の大半は病によるもので、その骸はこの山に投げ捨てられて終い。  しかし治る見込みがないとはいえ、生きたまま捨てられるとは思わなかった、突然部屋に見世の男たちが踏み込んだと思ったら、戸板に乗せられ、えっちら、おっちら。そのまま運ばれて、寺の高台から森の丘に向けてぽぉい、と。…打ち付けた背中が痛い。  病み、長く寝付いた体は立ち上がる気力もなく、おそらくこのまま飢え死ぬか、山の獣に食われて死ぬか。  見世で疎まれながら、病に苦しみ果てるのとどれが一番ましだろうか。 三本指で、背後の土をかく。中指と薬指は第一関節から先がない。梅毒は遊女が最も恐れる病だ。鼻が腐り落ちたとき覚悟はしていたが、思ったより早く、病魔は椿の体を蝕んだ。 おかげで纏まりかけていた見揚げ話が消えた。相手は七十前のヒヒ爺だ。――そう考えれば、今の現状はよいことなのかもしれない。  「ありがとう、ございます」  こんな時でも礼が口に出る己に、椿は苦笑した。今更、なにに感謝しようというのか。結局、椿の人生は無意味なものでしかなかったのに。
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