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美鶴が死んだのは、扇屋の店主とできてしまったからだ。本来店の人間と遊女は、常に一線引かねばならない。遊女は商品であり、店の人間はそれを扱う商人だ。その境界線を犯した結果傾いた見世は多いと聞く。
美鶴はほんの一時期だけ、見世の中で得意の絶頂になった。まるで己こそが見世の女主人だと言うかのように我儘三昧。だが当の店主が病みつくと、あっという間にその権力を失ったのだ。元々扇屋は家付き娘の元に、店主が婿入りしてきた店だ。その家付き娘であり、女将であるところの彼女は、店主をさっさと奥間の床に押し込んで、味方を失った美鶴に対し一切の容赦をしなかった。
どこの見世にも、折檻部屋はある。
見世から逃げ出そうとしたり、金銭を盗もうとする遊女は後を絶たない。そんな者たちを懲らしめるための専門職もあるぐらいだ。椿が扇屋の折檻部屋に案内されたのは、見せしめの意味があったのだろう。
数日ぶりに折檻部屋で見た美鶴の姿は、長い髪を振り乱し、体のあちこちを腫れさせ、裂けさせて。どだい、直視できる姿ではなかった。
「よくご覧、椿。悪い子はこうなるんだ。
お前は良い子だ。なら、ちゃんと知っておかないとねぇ」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
女将の言葉に、椿は涙を流しながら礼を言った。
正直なところ、部屋に入るまで椿は胸のすくような心地だったのだ。大嫌いな姐さんが、酷い目に合う姿を見るのを楽しみにしていた。だが、実際に見てしまえば、そんな薄暗い喜びなど吹き飛んでしまったのだ。
怖かったが、怖いと言えなかった。
逃げ出したかったが、逃がしてもらえるはずもない。
下手に女将の機嫌を損ねれば、今度は椿にもその矛先が向けられるだろう。
だから、礼を口にする――怖くない、恐ろしくない、平気。私はこうはならない、私は違う。ちゃんと感謝だってできる。…ただの、虚勢。
女将の顔には歪みがあった。歪な唇には嘲りを、細い目には憐憫を。似た顔を椿は知っている――椿を見送ったときの母のそれだ。
そして決定的な違いとして、女将の顔全体には勝者の笑みがあったのだ。
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