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3粒目 裏切り
結局、種類が豊富すぎることからチョコレートを決められず、早数日。
目前に迫ったバレンタインデーを決戦日に定めた私は、休日にチョコレートを買おうと街まで出て来ていた。本当は春雪も誘って一緒にカフェ巡りなどもしたかったけれど、今日はとても大事な用事があるとのことで断られてしまった。
「……ふぅ。思ったよりもずっと早く用事が終わってしまったわ」
休日ということもあり、人が混むことを予想し早めに出てきたのが功を奏したのだろう。
最終的に買うと決めたお店の品をあっさり手に入れることができた私は、早めに売り場を後にし商業施設の中を歩いていた。
「気に入ってくれるかしら」
手元の手提げ袋に視線を落とす。
そこには、先輩の分ともう一つ別の包みがある。
勿論それは春雪にあげるためのチョコレート。甘い物が大好きな春雪のこと。笑顔でチョコレートを頬張る姿を思い描きながら、私は人混みから離れて帰寮しようと学園までの長い一本道を見上げた。その時、
「もう新作が出てるのね」
馴染みのある店名が目の端に止まった。
学園の生徒の間でも特に人気となっている洋菓子店。
そのお店は広い店内とテラス席とが分かれており、その日の気分でカフェメニューを楽しむことができる。一番有名な商品は、レモンケーキ。ただ残念ながら、その商品は期間限定しか頼めない品なのだが、看板にはその商品の告知する内容が記されていた。
「うぅ、レモンケーキ」
心の奥底で、悪意のない誘惑がひょっこりと顔を出す。
このまま帰寮したとしても午後の予定時刻まで時間を持て余してしまう。
お茶をしてから帰寮しても充分すぎるくらい、時間的余裕があった。
「……仕方がありませんね」
お気に入りのカフェの限定メニューの看板を一瞥し、小さく溜め息を零す。
「今度、春雪と一緒に来ることにしましょう」
正直、誘惑に流されたい気持ちはある。
けれど一人で食べるのは寂しいし、春雪より先に限定メニューを食べてしまうのも何だか罪悪感が募ってしまう。そんな気持ちの中でケーキを食べても、きっと美味しいとは思えないだろう。
「大人しく帰りましょうか」
誰に言うでもなく。言葉を残してその店を後にしようとしたその時、
「え……?」
カフェのテラス席の一角――入口から一番遠く奥まった場所に座っている人物に目が止まった。
「春雪?」
見間違えることはない。
今日は用事があり一緒に出かけられないと断られた筈なのに。
奥のテラス席に座っているのは親友の春雪その人だった。
自然と、唇から言葉が零れ落ちる。
「なんで……」
どうして、見つけてしまったのか。
気づきたくなかったのに、どうして気づいてしまったのか。
間抜けな自分自身に対して怒りが込み上げる。
「どうして……」
好きな人だからこそ、気づいてしまう。
気になる人だからこそ、目で追いかけてしまう。
そんな二人の姿なんて、見たくは無かったのに……!
「春雪が、先輩といるの……?」
全身から力が抜けてしまいそうになるのを無理やり繋ぎ止める。
楽しげに談笑する二人の少女。
会話は聞こえてこなくても、その内容がどれほど楽しいものなのか、二人の表情を見ていれば嫌でも察しがつく。
「……っ」
受け止めきれない現実に眩暈がする。
「なんで、一緒にいるの?」
部活が違う先輩と、春雪の接点なんて思い至らない。
春雪と先輩が一緒にいる理由は、ただ一つ。
『先輩と一緒になれるよう、取り計らってあげる』
もしかしなくても私の『告白』が原因であることは明らかだ。
春雪に、先輩への気持ちを打ち明けた時のことを思い出す。
『私にも好きな人がいるから』
そう、言っていた。
ずっと春雪と一緒にいたにも関わらず、春雪に好きな人がいたなんて知らなかった。
そんな話も素振りも、今までみせたことなど一度もない。
「…………」
だからこそ春雪に隠しごとをされていたという事実に、目の前が暗くなる。
春雪は、誰が好きだとはその場では言ってくれなかった。
けれどもしその〝想い人〟が、先輩だったら?
春雪も先輩を――同じ人を好きになっていたとしたら。
もし〝先を越されていた〟のだとしたら――。
「……ッ!」
疑問が疑心に。
愛情が憎悪に。
信頼が絶望に。
深く、重く、黒々と塗り潰されていく。
「……はる、き」
✿ ✿ ✿
その後、どうやって帰ったのかなんて憶えていない。
気づいた時には、寮の自室に戻っていて、枕に顔を押しつけ泣いていた。
楽しげに談笑していた春雪の顔。
そしてその傍らにいる〝憧れの人〟を想うと、ギュッと胸が苦しくなってくる。
大切な宝物を奪われ、目の前で砕かれてしまったかのような絶望感。
悔しくて――言葉にできない情けなさと、歯痒さと悲しさが胸の内を掻き毟る。
「先輩のために選んだチョコレート……、無駄になってしまったわ」
あれほど心待ちにしていたバレンタイン当日。
それなのにも関わらず、私は学校を無断欠席してしまっていた。
何度も携帯が震え、電話やメールの通知がきていたのは判っている。
それでも携帯を見る余力も起き上がる気力も奪われてしまっていた。
「…………」
ずっと横になっていたからだろう。
軽い頭痛を感じた私は、ゆっくりと身を起こすとそのままベッドから抜けだした。
思い起こせば、昨日から何一つ口にしていない。
飲み物も食べ物も、何一つ喉を通らなかったのだから。
「…………」
正直、食欲なんて微塵もない。
けれどこのままではいけないと、もう一人の自分が警鐘を鳴らした。
(紅茶くらいなら……飲めるかも)
暖かい飲み物を口にすれば、少しは気持ちも落ち着くかも知れない。
半ば言い聞かせるように、室内に取り付けてある電気ケトルに水を入れる。
茶器と茶葉の準備をし、お湯が沸くのを待っている間にも唇からは溜め息ばかりが零れ落ちていく。
(このまま誰とも会わず、何処かに行ってしまいたい……)
カチカチと一定のリズムを刻んで、時計の音が室内に満ちていく。
それが、いっそう寂しさを助長させる。
「あ……」
ふと、チェストの上に置いていた鏡に、酷く泣き腫らした自分の顔が映った。
だって、仕方がない。情けないくらい、声を上げて泣いたのだから。
子どものように、ぶつけたい感情を声に込めて枕に顔を埋めた。
さんざん泣き続けたというのに、鏡の中にいるもう一人の自分はまだ泣きたりないと言わんばかりの表情をしていた。
コンコン、コンコン……!
その時、扉をノックする軽い音が思考を打ち砕いた。
今日は平日で、ほとんどの寮生は学校へ行っている。
だからこんな時間に尋ねてくる人物など限られている筈なのに。
(誰だろう……?)
先生か寮監か。どちらにしても無言で応対することなどできない。
「は、はい! 待ってください……っ」
掌で慌てて目元を拭うと、フラついた足取りながら扉へと向かった。
「冬雪。お見舞いに来たよ」
その時、聞き馴染んだ親友の声が扉の先から響いた。
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