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「……えっ? 来週世界が……終わる?」
「うん、そういうことになってるの」
なんだ、明日じゃなくて来週だったか。
なんて、軽々と受け入れられることでもない。
「こういうことなんだけど……」
そう言って彼女が見せてきたのは、とある宗教のホームページだった。僕から見たらすべてがうっさん臭く見えて、『救い』だの『幸福』だの反吐が出そうな戯言のように映る。
しかし、一番うっさん臭いのが。『感謝の一切を禁止する』という信条だ。神、またはその写し鏡となる教祖のような徳の高い人物に対してのみ、感謝を行う。そうして、徳の高いものから感謝を返される。そうした、神と人との感謝の循環によって人としての苦しみから離れていくという内容だ。
「じゃ、じゃあ。小野寺さんが『ありがとう』を言わなかったのって宗教上の理由だったの?」
「うん、そういうことなんだ。それでね、ここも読んでほしいの」
ホームページの最新のトピック。題名が『世界滅亡にあたり感謝巡りを全信者に許す』とう内容。世界滅亡? 感謝巡り?
どうやらこの宗教は三千年前から存在し、その誕生とともに世界が三千年後に滅亡するという予言がされていたという。それが来週の火曜日だそうだ。そして、感謝巡りっていうのは、許可された人が今まで言えなかった感謝を出会った人々を廻って伝えていくというものらしい。
世界が滅亡するにあたって感謝巡り、つまりは『ありがとう』をいうことが信者全員に許されることになったわけだ。
「なんかさ。面白いなーって思うけど。現に小野寺さんは、『ありがとう』をずっと言わなかったわけだし、今日来たのも感謝巡りなわけでしょ? なんて言ったらいいのかわからないけど。えっと、小野寺さんはこれでよかったの?」
純粋な疑問だ。こんな重い制約を今まで貫くことは並みのことではないし、普通に生きるよりも苦しく辛いことのはずだ。小野寺さんは本当にこれで幸せだったのだろうか、幸福だったのだろうか。そして、そんな辛い生活の先で世界が終わるなんて言われてどう思っているのだろうか。
遠くのお話なら笑える。
でも、その物語が。その人生が今目の前にある。
「言いたいことはわかるよ。私だっておかしいって思っていたし。でも、仕方ないだよね」
そう、力なく言った彼女は先ほどのメモ帳を広げた。
「じゃあ、言うね」
こうして、彼女と僕の二年間。その中に詰まった無数の感謝が今一斉に解放されていった。
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