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「だからさ、年収600万ない男なんて無理って言ったじゃん。」
そう言って、肩までかかる明るい茶髪をひるがえしながら彼女は出て行った。
茫然と立ちすくむ僕と、その足元に転がる『人事異動のおしらせ』の冊子をアパートに残したまま。
僕は、今回も出世できなかった。
そして、大好きな僕の彼女は出て行ってしまったのだ。
春。桜咲く春。
出会いの春、生命の芽吹く春―――。
だれもが期待に胸を膨らませるこの季節、もう一つ忘れてはならないものがある。
それは、人事異動だ。
そして世の中の誰よりも早く、今年の春の僕の期待は無残にも打ち砕かれたのだった。
「あーもう入社して7年目だってのに」
昼休み、会社近くの新宿中央公園で、ベンチに腰掛けながら僕は頭を抱える。
そして例の『人事異動のおしらせ』の冊子をまた開くのだった。
(それは会社公式の冊子ではないが、いつも組合が勝手にこういった冊子を作ってくれる。)
そこには、僕の同期の名前が大きく書かれていた。
「秋元ユーヤ。大宮支店長に異動。」
僕はため息を漏らす。彼のすごい営業成績のことはずっと噂になっていた。
しかし、こんなにも早く支店長だなんて……
そして、その夜のことだった。会社から駅に向かう帰り道、奴が僕の彼女と、仲良く腕を組みながら歩いているのを見たのは……
僕は一人小さなアパートに帰り、コンビニで買ったストロングゼロをつづけざまに2本飲む。
少し前に棚に突っ込んでおいたきりのタバコを引っ張り出して、火をつける。煙で壁紙が汚れるなんて、もうどうだっていい。15ミリの重いタバコは僕の気持ちをいい具合に沈ませてくれる。
空腹に強烈に響くアルコールでぐらぐら回る頭に身を任せ、たちのぼる白い煙を僕は茫然と見つめていた。
「ああくっそーなんで奴と差がついちゃうんだよ……」
僕は一人で愚痴る。
その時だった。
「手伝ってやろうか」と、悪魔がアパートに現れたのは。
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