トヨウケビメ

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トヨウケビメ

 真っ暗な蔵の中、ゆっくりと重い瞼を押し上げると高い窓の鉄格子の間から月の光が照らしていた。 冷たい風に身震いして(ほのか)は自分の肩を抱く。白いシャツ一枚に胸元でネックレスの石が光った。  どのくらいこうしていたのか ぼんやりとする頭に手を当ては ハッ として左手を見る。手袋が、無かった。 肌の上に直に着ているシャツを鷲掴むと右手でそれを覆った。 「……大丈夫。ここには誰も来ない」 白い息を吐きながら自分に言い聞かせた。  (ほこら)宮子(みやこ)を家に残して姿を消した。 ()を守れたと思ったのに、代わりに祠が傷ついて宮子を止められなかった。  踏み切りの前で立っていると背後から強い光で照らされた。近づいてくるエンジン音に思わず目を閉じると、スーツ姿の男性ー透悟(とうご)が肩を抱いている。 「すまない、遅くなった」  そう言う透悟は熱でもあるのか息苦しそうに顔を伏せると大きく息をついた。 「透悟さん?」 「覚悟は出来ているな、悪いが時間が無い。今すぐ服を脱げ」 「...え..」  淡々と言う透悟に仄は顔を赤くしながら服を掴んだ。するとすぐ足元から大きな笑い声。 光を放つ程の真っ白で綿毛のような体毛の兎が一匹腹を抱えるように身体を折り曲げ笑っている。 「ツ、ツクヨミ、いくら..なんでも、麗しき乙女にそれはないだろう… 年頃の女性に、恥じらいもあろうて..」 「...。すまん」  仄はそのふわふわの毛並みに誘われて白兎を抱き上げた。 「ふわふわ..」  思わず目を輝かせて頬擦りをすると白兎は透悟に どうだ、うらやましいだろう と鼻をひくつかせ自慢気な顔をした。 「白兎さっさとしろ」  苛ついたのか 時間が惜しいのか 透悟がそう言うとまだ頬擦りしている仄に白兎は告げる。 「では、その ふわふわ とやらになってみようではないか」 「ん?」  仄が顔を上げると白兎はすかさず目の前の鼻先と自分の物を擦り合わせた。  きょとん と大きく瞬きする。 目の前には大きな素足が見えた。 首を傾げ、自分の体を見ると白い綿毛に包まれ、着ていた筈の服が落ちている。 片方の靴の中に両手両足がはまってしまっていた。戸惑いながら頭上を見上げると裸の自分が見下ろしている。 「身に付けている物、全て頂くぞ」  仄の体に化けた白兎は次々と散乱した服を身につけていく。最後に仄の首に下がったネックレスに手を伸ばして、仄は前足を絡め体を折り曲げてそれを拒んだ。 「...困ったのう、何か一つでも残してバレてしまっては元も子もあるまい。」  白兎は溜め息をついたが透悟はYシャツを一枚脱いで仄を包むと抱き上げ、そのまま背を向けた。 「よい、これ以上待てん」 「...左様か。では」  白兎は真剣な眼差しで返事を返すと仄が先程立っていた位置につく。 「ツクヨミ、最後に伝えねばならんことがある」 「なんだ」  距離をとって顔だけを向けると白兎は鋭い視線を透悟に向ける。 「花についていた虫、あれから雉女(キジメ)の匂いがした」 「....そうか」  予想がついていたのか透悟は顔を背けた。 「気をつけよ、敵は案外近くにおるかもしれん」 「....ご苦労であった」  小さく透悟が呟くと白兎は一瞬、仄の顔で目を丸くすると口許を緩め凛々しく言った。 「さらばじゃ」  暗い夜空を飛ぶコウモリは宙に浮かんだまま、車も人もピクリとも動かない世界を透悟の足音だけがよく響く。 仄は もぞもぞ とシャツの中を這うと透悟の肩に前足を掛け覗き込む。 視線が合った先で仄の姿をした白兎は優しく、笑った。 「...行くぞ」  透悟が言った。 その一言が引き金のように一斉に音が生まれ、すぐ横の線路を電車が駆け抜けていく。 仄は怖くなり見開いたままの目を透悟の手が覆った。火花が散る金切り声のような金属音と大きな衝突音に空気が揺れる。 人の悲鳴を掻き消すように大きな爆発音がした。
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