春に咲く春か

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春如は自分の名前が嫌いだった。 春如が生まれたのは二月、なのに春の様な暖かな陽気の日だったので春と二月の旧暦である如月から取って春如と付けられた。 だけど一見しただけでは中々『はるき』とは読めない、読み方を教えれば男みたいな名前と言われる、名前の由来を言えば春に生まれたんじゃないんだと言われる。 そんなのは当たり前で中には、パッと見ただけで如を王妃の妃と間違えて春妃『はるひ』と全く別物にされてしまうこともあった。 早くは小学生の頃から自己紹介をするたびに訂正の繰り返しで、思春期真っ只中の中学・高校時代にはその分かって貰えないチグハグな名前を理由に見事にひねくれて名前をつけた親を何度となく恨んでぶつかった。 女なのに男のような響き、冬生まれなのに春と付く違和感、自分の事を知って貰う時一番最初に相手に言ったり見てもらうものなのに分かって貰えない。そんな苦労しかしない名前は春如にとってコンプレックスの何者でもなく名前は自分の中で一番嫌いなものだった。 そんな春如の名前を褒めてくれたのは真晴だ。お互いの友人の紹介で知り合いラインのやり取りからスタートしたのだが、自己紹介をして真晴もやはり一見しただけでは『はるき』とは読めなかった。 やっぱりな、と若干諦めた気分でいた春如は初対面でいきなり名前を褒めだした真晴に面食らった。 肌の色が白くて長い髪の雰囲気がキリッとした寒さのある二月の如月みたいでぴったりで明るい頬のピンク色は春みたいで名前通りだと会って早々に言ってきたのを春如は鮮明に覚えていた。 そこまで自分の名前と容姿を重ね合わせて褒められた事は初めてで春如自身とても嬉しかった、それと同時に春如は明るい調子で笑って話す真晴の方が名前と雰囲気がぴったり合っているのだと羨ましくも思った。 そして真っ青でカラッと晴れた日に生まれたから真晴と名前を付けた御両親の事も同じように羨ましく思った。 付き合い出してから二年ほど経つが、こうやって喧嘩もあるが真晴への好きな気持ちは変わりがないが一つ大きな不満が春如の胸に痞えていた。 それは名前を呼んでくれなくなった事だった。 春如自身ここ数か月の間に気づいた事なのだがきちんと『春如』と呼ばれる事がほとんどない。 家に二人きりで居れば名前を呼ばなくても「ねえ。」や「ちょっと。」で伝わる、デートに言っても同じ事が言える。それだけ気を許した関係と言えば嬉しい事だが馴れ合いに感じていた春如にとっては不満であった、ただ不満だけでなく寂しさも大きく存在していた。 自分の嫌いでコンプレックスだった名前を真晴に呼ばれる事で少しずつ嫌な気持ちを変えていくことが出来た。本当に他の人からすれば何てことない事些細な事だろうが、春如にとっては大事な事でもどかしく思っていた。 車両のドアが開き多くの人波に身を任せる様に駅のホームから階段を降りて新幹線改札のある場所まで歩を進めていく。 スーツ姿の人、オシャレに着飾った若者、部活のジャージで集まる学生の集団、様々な人たちのいる最大のターミナル駅でそれだけの人たちとすれ違って行くと周りの人たちみんなが自分より幸せや楽しそうに見えてくる。それだけ自分が満足してない証拠であってそんな風に不幸に浸ってしまっている自分に気づいて無心で目的地に向かった。 新幹線改札の人の出てくる人はまばらで、まだ新幹線が到着してない様子で時計を見れば五分ほど時間があった。あと五分待たなければいけないと思った途端に東京駅まで迎えに来る事は真晴には言わずに来ていた春如はふと不安の闇に襲われた。顔を見て嫌な顔をされたらどうしよう、会って早々に別れようと言われるかもしれない。 真晴の事を考えれば考えるほど喧嘩中の事実が悲観的な考えを連想させた。 肩から下げた鞄を握る手にジワリと汗を感じた頃新幹線改札が人で溢れかえってきた。目的の新幹線が到着したようでキャリーケースを引く人やお土産を持つ人など続々と改札口を通り抜けて行く。 その人々を目で追いながら真晴の姿を探していると見覚えのあるパーカーが目に留まり、そのまま顔を確認すると探していた真晴だった。改札を抜けて乗り換えの路線に向かう真晴は脇目もふらずに真っ直ぐ歩いて行くので春如には全く気づいていない。 「真晴。」 足早に行く真晴を慌てて呼び止めた春如、呼ばれて振り返った真晴はいるはずのない春如にただ驚いていた。だが春如が来てくれた事が嬉しかったようで口元は少し緩んでいた。 そこからお互い相手の様子を伺って沈黙の中でどうしようかとそれぞれ葛藤と思案をしていた、結局その沈黙を破ったのは真晴の方からだった。 「帰ろ。」 当然の提案でありこの後の行動ではそれしか考えてなかった真晴は、黙ったままの春如の手を取って行こうとしたが春如は動く事なく真晴の手を掴んだまま立っている。 「帰んないん?」 「お花見行きたい。」 「今から?もう夜やし別の日にしようや。」 「もう葉桜になっちゃうから。」 子供の様にわがままを言う春如に真晴は困り顔だった、春如も真晴の言うことは至極正論でお互いに明日は仕事で早く帰宅したい気持ちはもちろん分かっていた。 でも家で待って居てもいいのにわざわざ東京駅まで迎えに来た真意を分かって欲しくて春如は正直に話した。再び二人の間に流れる沈黙、先ほどの沈黙よりも重々しい沈黙は周りの雑踏が無駄に大きく聞こえるほどの静けさだった。その沈黙を破ったのはまた真晴だった。 「ちょっと散歩するぐらいでええ?」 言った妥協案に小さく頷いた春如を確認した真晴は、さっきと同様につないでいた手を引いて乗り換えの路線に足を向けた。今度は手を引っ張られる事はなく、手をつないでいる春如も同じ方向へと歩いて行く。 ホームに行くと丁度折り返し運転で止まっていた電車があり、そのまま電車へ乗り空いている座席に並んで座った。これと言った会話をすることもなく微妙な空気のままだったが今度その空気を変えたのは春如の方だった。 「怒ってる?すぐに帰れなくて。」 「怒ってへんよ、そんなに花見行きたいんやなって思っただけ。」 「だってずっと行きたかったんだもん。新年度始まるからって真晴忙しそうだったから。」 「それは新人教育研修のサポート頼まれたから、こないだ終わったからもう落ち着いた。」 「だから土日はゆっくりしたかったの?」 「まぁ・・・そうやな。」 「ごめん、疲れてたのに色々言って。でも忙しくてもちゃんとそういうの話してくんないと分かんないよ。」 「分かった。」 社会人となり数年経てばそれなりに任される仕事も多くなり、責任ある仕事も増えてくるのは当然であるが実力があるからこそ任されるのだと春如も分かっていた。 ぶっきらぼうにだが謝った春如を見て安堵した真晴は笑って了承の返事をした、その真晴を見て春如も同じように安堵して笑みを浮かべた。
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