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丘上美羽は好きになる
ー1ー
雪に恋する地域の仲冬は当然のように凍雨がせせら笑う。
「さむ」
アナウンサーが満面の笑みで『明日はお洗濯日和です!』と言い切った昨晩を思い出し、雨と後悔に濡れていく。ありふれた失敗も俳人なら凍雨を季語に一つの世界に収めてしまうのか。そんな疑問を糧に小走りで目的地へ向かっていた。
「……もう、疲れた」
数分で息が切れ、ゆっくりと歩を進める。どうやら糧が尽きたようだ。
何も考えず体温を奪われながら単に歩くのは修行に等しい。彼は脳内を働かせ必死にモチベーションを保つモノを想像する。
話は打って変わるが色のイメージによって感覚に影響することをご存じだろうか。例えば赤色を見ると熱い、青色の場合は冷たいと勝手に連想する心理現象。具体的または抽象的なことすら高い確率でそう思う人は少なくない。
さて、今の彼の視界を席巻する鬱陶しい雨は何を彷彿させたのか。
「くそ……」
黒髪で平均的な体格の高校一年生は掠れた声で呟く。頭蓋骨の内側から濁流が押し寄せ、ドス黒い感情が充満していった。
彼は転倒するリスクを無視し、再び駆け出す。今すぐにでも忘れたい過去から追い着かれないように。
それでも面白味のない話は離れてくれない。そう、実につまらない話だ。複数の同級生から罵られ、殴られ、盗られ、親と警察と児相から見捨てられ、死に場所を探すのみ。凍雨よりも寒く脆弱なエピソードに過ぎない。
「くそったれ」
言わずにいられなかった。
世の中で自分よりも不幸な人間はごまんと存在する。そうやって心を騙すのは既に不可能であった。七○億人の誰よりも辛い、と彼の気持ちを理解する者は七○億人程度では現れないと知っていた。
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