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次の日、目が覚めると、ねこは相変わらずあの部屋にいた。てっきり自分も返品されてしまうかと思っていたので、聊か拍子抜けしていた。
すると、扉の向こうから、いつものようにスーツの男性は現れた。
「今日も一日、ありがとうございました」
いつものように、ねこは言う。そしていつものように、スーツの男性は微笑む。
「いえいえ」
スーツの男性は椅子に腰かけると、いつものように話を始めた。
「今日は旦那様のセーターが編みあがったので、それを差し上げました。デザインが好かないと仰って着てはくれませんでしたが、受け取ってはくださいました」
「そうでしたか。一着編み上げるのは大変だったでしょう。ありがとうございました」
いつものように言葉を並べているのに、なんだかその言葉は穴が開いているかのように、不安定な感じを覚えた。
それでも、スーツの男性は話を続けた。「ありがとう」と言われる事を期待して、言われる度に心底嬉しそうにして。
「今度お肉屋さんに行くのは、いつになるかな」
ふと、スーツの男性は言った。
「また『ありがとう』と言ってもらえるでしょうか」
ねこはまた、何と言ったら良いか分からず黙り込んだ。するとスーツの男性は、ねこの瞳を見つめてきた。
「……そうですね、と言ってください」
「……え?」
「そうですね、と肯定してください。私はあなたを購入したんです。それくらい、『ありがとう』と言われたいんです。あなたやお肉屋さんの店長だけが、私の拠り所なのです」
スーツの男性は、悲しそうな目をしていた。ねこはその目をじっと見つめ返していた。
「……ねこは『ありがとうねこ』なので、それは出来ません。今度お肉屋さんに行った時、店長さんが『ありがとう』と言うであろうという事を、肯定する事は出来ません。それは、『こうていねこ』がやります」
やろうと思えば出来る。首の後ろのボタンを押しさえすれば、結局は出来るのだ。しかしねこは、自分の名前についた事しか出来ない、そういうシステムなのだ。
「……そうでしたね」と、スーツの男性は苦笑いをした。
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