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「約定の時来れり」
彼は扉を開けるなりそう言って何やらポーズを決めた。たぶんカッコいいんだろうけど、私にはよくわからない。
「そうだねぇ。準備できてる?」
「それが世界の意思なれば」
大丈夫らしい。
「んじゃ行こっか」
私は彼の手を取って歩き出す。こうでもしないと彼は中々外に出ない。人の目線が怖いかららしい。その割には髪は染めてるしピアスも空けてるしよくわからない喋り方をする。そうしてる方が余程人の目を引くと思うけど、そうやって本当の自分を隠さないと怖くてたまらないと言ってた。
「今日行く場所覚えてる?」
「母なる蒼を内包せし楽園」
ちゃんと覚えてる、んだと思う。よくわからないけど。
「楽しみにしてたなら、嬉しい」
「……」
彼と話す時、私は出来るだけ素直に自分の感情を言葉にするようにしている。その方が彼が安心してくれるから。
「風が、騒がしい」
「風? んー……あ、そういえば天気予報で雨降るかもって言ってたね」
私が傘を持ってるか心配してくれた。
「ありがとう、私は大丈夫だよ。そっちは傘持ってきてる?」
「未来は我が手の中に」
大丈夫らしい。そりゃそうか。さっきも準備は出来てるって言ってたわけだし。
「……桜の精霊よ」
「うん?」
バスを待っている間、彼が話しかけてきた。
「………………」
「………………」
言葉を待つ。彼と一緒に居るとこういうことは良くある。言葉を選んでるのか、言いにくいことなのか。どちらにしても焦らす必要なんてない。時間はまだまだある。彼のペースで、言いたいことを言ってもらう。それが1番いい。言葉の意味は、わからないかもしれないけど。
「……ありがとう」
「…………」
たっぷり一分は待ってから彼は言った。
私は……咄嗟に言葉が出なかった。
ただ一言。ありふれた感謝の言葉。
でも、彼が私に言ってくれた。それが無性に私の心を熱くする。
「我が血肉はこの愉悦の時に打ち震えている!」
私は彼の優しさを知っている。彼の苦しみを見てきた。彼を救うことが出来なかった。
私は感謝されるほどのことはしていない。これは償いのようなものだから。
けど、それでも。
「うん、どういたしまして」
私はその想いを受け止める。
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