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「う……」
紗月はふわりと包み込まれている感覚に目を瞬かせた。
最後に見たのは固く冷たい地面だ。それなのに今は誰かの家の一室で、部屋中に広がる白くてふさふさとした温かい布団にくるまれている。
両親のことを思い出し、紗月は腕をついて一気に上体を起こした。その際にむにっとした感触があったような気がするが、気にせずそのまま立ち上がった。足裏が起伏した何かをゴリッと踏んだかもしれないが、それより両親が気になりそのまま布団の上を駆けた。
「んぐぅ……っ」
何やら獣の唸るような声が聞こえ、紗月はピタッと動くのを止める。
音がどこからしているのか分からずにいると、足元の白い布団がぐっと盛り上がった。うわっとバランスを崩して紗月が転げ落ちると目と鼻の先に、触れただけで大けがしそうな牙と鋭い黄金色の瞳を持つ犬の顔があった。紗月は一部屋ほどある巨大な犬の体の上をパタパタと駆けていたのだ。
「ひっ……」
紗月は血の気がさあっと引くのを感じながら、少しずつ身を後退させる。今すぐ走って逃げたいのに、腰が抜けて立てないせいで全然犬との差が開かない。そしてとうとう壁際まで追い詰められてしまった。
「ご……ごめん、なさ……」
震えて引きつった声で謝る。
犬に人間の言葉など通じないことは分かっていてもそうするしかなかった。かみ殺されるならどれだけの痛みに耐えなければならないのだろう。背筋から手のひらから、全身のあらゆるところから油汗が滲む。
距離を詰めてくる犬を見るのが怖くてさっと顔を反らした。首筋に犬の息がかかる。紗月は心拍がどっと上がるのを感じながらぎゅっと目を閉じた。
「コウ、こちらに来なさい」
低いが優しい声が聞こえた。
恐る恐る目を開くと部屋の戸から艶やかな薄い色素の髪を後ろで一つにまとめ、薄い水色の着物を着た男が入ってくる。
犬はコウというらしい。頭が天井に届きそうなほど巨大なコウがどしんどしんと歩いて男の前まで移動する。男はコウの喉をするりと撫で、紗月に向かい合った。
「うちのコウがごめんね。体は大丈夫ですか?」
「えっと、うん……」
紗月が戸惑っていると男は涼やかな目元を緩めて、色々と説明してくれた。
「ここは村の山にある神社で、私はここの主をしている水春といいます。村人は水神様と呼んでくれているそうですね。コウは私の相棒でいわゆる狛犬というやつです。昨晩、君がここに来るまでの道中で倒れていたのをコウが見つけてここまで運んでくれました。足に少しの火傷と全身にかすり傷があったので処置をしましたが……その様子だと今のところ痛みもなさそうですね」
「うん、痛くない……。水神様? ありがとう」
紗月は水神様という名前は聞いたことがあったが、本当に存在するとは思わなかった。誰に聞いても神様は神様だとしか教えてもらえなかったからだ。でも、もし本当に神様が存在するなら、水春のような人かもしれない。そう思うほど水春の容姿は美しかった。紗月の返答に水春が微笑む。コウの目も心なしか和らいでいるように見える。
しかし、水春はすぐに悲し気な表情になってしまった。
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