みょるもょる

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      三  週末のランチタイムは忙しかった。  注文がひっきりなしに入り、息つく暇もなかった。ホールにはわたしたち新人と山寺さんしかおらず、わたしはてんてこ舞いになりながらオーダーをとり続けた。 「これ、20番テーブルのカレーね」  厨房の男性スタッフが受け取り口にトレンチを置く。 「みょるもょる!」  噛まないように注意しながらお礼を述べ、わたしは速足で料理を運ぶ。それを繰り返しているうちに、ようやく怒涛のランチタイムが終わった。 「ご苦労様。はじめての週末、大変だったでしょう」  休憩室の机に突っ伏していると、山寺さんがホールから戻ってきて労いの言葉をかけてくれた。 「お疲れ様です。……半分パニックになりかけました」 「千絵ちゃん、上手に接客できてたわよ」 「そんな。山寺チーフにしっかりフォローしていただいたおかげです」  顔の前で手を振ると、山寺さんが穏やかに笑みを浮かべる。 「みょるもょる。だけど貴女はもっと自信持っていいのよ。笑顔が可愛いし、接客業に向いてるわ」  誰かに可愛いと褒められたことがほとんどなかったので、たとえお世辞だとしても嬉しかった。何と返したらいいか困っていると、不意に山寺さんがため息をついた。 「ごめんね。入ったばかりなのにこんなバタバタな職場で。ほんとはもっと大人数で回したいんだけどね」 「いえ……」 「人手不足なのよ。バイトさん入ってもすぐ辞めちゃうから。かといってこればかりは引き留めるわけにはいかないし、なかなかね……」  含みのある言い方をして、山寺さんが冷凍庫の方をちらりと一瞥する。バイトが定着しないのは、やはりあの奇妙なルールのせいだろうか。今日身にしみてわかったけれど、忙しい時間帯にあの発音しにくい呪文に縛られるのは結構なストレスだった。 「おつかれさまでーす。すべてのお客さん退店しました」  レジ打ちを済ませた沙苗が休憩室に入ってきた。いつもサラサラのショートヘアーも、少しだけ汗でへたっている。 「沙苗ちゃんもご苦労様。あっ、二人に飲み物買ってあげるわ。喉乾いたでしょう」  お店の外には自動販売機が置いてある。山寺さんが財布をつかんで席を立ったので、「わざわざすみません」とその背中に声をかけた。 「チーフ、いい人だよね」  見送ったあと、わたしは椅子に座って一息ついている沙苗に声をかける。「うん、優しい。仕事でミスっても怒らないし」と彼女は同意してから、机の上の研修マニュアルを手に取って団扇替わりに扇ぎはじめた。 「いやー、それにしても暑いわ。体育の授業かってくらい今日早歩きしたよ」 「エアコンの温度下げる?」 「そこの冷凍室、入っても怒られないかな」  沙苗が悪戯っぽく笑うので、わたしは「やめなよ、風邪引くよ」と窘めた。 「冗談だって。でもさ、なんでこの部屋から冷凍室に入れるようになってるんだろ」  と不思議そうに首を傾げる。言われてみれば変だ。この部屋はなぜか冷凍室と隣接していた。厨房からも出入りできるらしいので、冷凍室にはドアが二つ付いていることになる。 「あ、でもここからじゃ入れないみたいだよ。厳重に錠前がかかってる」  ドアの取っ手が鎖でぐるぐる巻きにされていることに気づき、わたしが指摘する。 「ふうん」すでに興味を無くしたのか、沙苗がそっちには目もくれず自分の脚をマッサージしていた。 「明日筋肉痛になるかも……。わりと重労働じゃない? ここ」 「あ、うん。さっき人手が足りないって言ってた。これからもっと募集かけると思うから、バイトも増えて仕事楽になると思うよ」 「じゃないと困るー。足くたくた。まあ、忙しい分痩せるからいいけど」  じゅうぶん痩せてるじゃん、と苦笑しながらわたしは壁の時計をちらりと見上げる。 「ね、沙苗。このあとどうしよっか。まだ昼過ぎだけど――疲れてるなら、帰る?」  時刻は14時25分。お店が営業再開するのは17時だけれど、わたしたちのシフトは15時までになっている。今日は日曜日だし、できれば沙苗と町まで遊びに行きたかった。 「んー。あっ、それならカラオケ行こうよ。思い切り発散したい」  沙苗の提案に、わたしは心が弾んだ。 「うん! いこいこ」 「お腹も空いたし、ポテトとかお菓子いっぱい注文しようよ。たしか駅前のカラオケ店だとアイス無料で付いてくるはず」 「歌いのか、食べたいのかどっちさー」 「あはは」  元気を取り戻したのか、沙苗が椅子から勢いよく立ち上がる。ちょうどそのとき、山寺さんが両手にジュースを抱えて戻って来た。 「あら。なんだか楽しそうね」  わたしたちの声が部屋の外に漏れていたのか、山寺さんが優しく微笑みかけてくれた。  「このあと沙苗とカラオケに行くんです」 「いいわねー。青春って感じで」 「チーフも一緒にどうですか?」  沙苗がお茶目なノリで訊く。退勤まであと三十分時間があったが、すっかりわたしたちは気が抜けてオフモードになっていた。 「沙苗ちゃん。まだ最後の掃除が残ってるわよ。カラオケの話はそのあとにしましょう」  案の定、山寺さんから軽く注意された。とはいえ本気で怒っているわけではないことは柔らかい口調でわかったので、わたしたちは「すみません」と謝ってから互いの顔を見合わせてくすくす笑った。 「はい、ランチタイムご苦労様。これ飲んで、ホールの片づけはじめるわよ」  買ってきてくれたジュースは、ブドウスカッシュとカルピスウォーターだった。沙苗が「こっちもらっていい?」と緑色の缶を指さす。わたしは指でオーケーマークを作った。 「あたしブドウ味好きなんですよね。チーフ、ありがとうございますー」  沙苗が礼を述べて、嬉々としながら炭酸ジュースを受け取った。  あれ――  わたしの耳が、違和感をとらえた。  いま。 「ぷはぁーっ。やっぱり疲れたときの炭酸は最高っすねえ!」  大げさなリアクション。沙苗はまだ気づいていない。自分が何を口走ったか気づいていない。わたしは、山寺さんの顔から目を離せずにいた。 「沙苗ちゃん」  一切の笑顔が消えていた。首だけを沙苗に向けて、 「いまなんて言った?」  ぞっとするくらい、低い声で訊いた。
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