報われない世界の私たちへ

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   感謝するのも、されるのも苦手だ。 「ありがとう」と言われれば、途端にたじろぎ、慌てふためき、逆に「ありがとう」と、人に頭を下げるときは、迷惑をかけて申し訳ないと反省してしまう。  謝ることも嫌いだし、謝られることも、苦手だった。謝るときはただただ恐ろしくて、戦々恐々と怯えるばかりだし、謝られるときは「許すかどうか」の決定権をこちらに委ねられるその責任の重さに耐えられず、逃げ出したくなってしまう。  謝りを感じると書いて、「感謝」。結局、「ごめんなさい」と謝ることも「ありがとう」と言うことも、根本的には「謝る」ことであるのだ。 「ありがとう」と「ごめんなさい」が謝る点で共通するからこそ、「すいません」の一言ですべて通じるのだろう。  そもそもこの世界は「ありがとう」に価値を置きすぎている。「ありがとう」と言えば相手が喜び、嬉しくなると当然のように思ってる。  私はその期待がいやらしいのだ。「ありがとう」と私に言えば、私が喜ぶ仕草をすることを、感動することを待ち望む、その期待が重いのだ。  私には、感謝されても嬉しくない代わりに、そんな「喜ぶポーズ」を期待する相手の気持ちばかりが感じられ、期待に応えられないことの罪悪感に申し訳なさすら感じてしまう。  人に感謝するのも嫌いだ。  なぜなら、感謝は弱い人間のみじめな服従行為だからだ。  おそらく、子どものときが最も感謝させられた時期だろう。  先生に感謝、親に感謝、地域のお年寄りに感謝して、給食センターのおばさんや、役場の人に感謝する。  「いつもありがとうございます。」と、入学式から、文化祭、遠足、敬老の日のイベントや、進級の折に、私たちは何回言わされたことだろう。  それは、「子ども」が弱い立場の人間だからだ。大人に守られ、施されなければ社会で生きていけない、生かされている立場の人間だから。 持たざる弱者は、「あなたのおかげで生きていけます」と、ありがたみを表明しなければ、この世界で生きることは許されないのだ。  だって人間は神さまに感謝するけど、神さまが人間に感謝するのは聞いたことがない。  だから私はつよくなりたかった。  誰に感謝せずとも生きていけるくらい、強くなりたかった。  人口千人にも満たない豪雪地帯の、小中合わせて三十名しかいない小さな村で、私と母は二級市民だった。  早くに父が他界し、私が小学生のころから母ひとり、子ひとりで、母は村で唯一のデイサービスで介護職員として働いていた。  母子家庭を不憫に思ったのか、家には度々、青年団のおじさんたちが様子を見に来ては、畑で採れたイモやら、つくだ煮などの総菜を置いていった。  そんな風に青年団のおじさんたちと関わりを持つようになってから、休みの日には青年団主催の野球大会におにぎりを作っていったり、汚れたユニホームの洗濯や、会計資料の作成、会議のお茶出しなど、母はたくさんの仕事を頼まれるようになった。 「より子さんもお一人で寂しいでしょうから、こうやってね、地域のみんなで一緒に、支えていかんといけんのですよ」  赤ら顔で白髪のおじさんが、我が家のダイニングテーブルを占拠して怒鳴った。 「それにね、より子さんのおかげで、ずいぶん青年団も助かっとるんですよ。男所帯なもんですから、女性がいると華が違いますわ」 「そうそう。より子さんお茶」  白髪の話に、眼鏡をかけたガリガリのおじさんは頷き、小太りでチビのおじさんが母に空いた湯呑みを差し出した。  母はにこやかに小太りチビから湯呑みを受け取ると、キッチンへと消えていく。  白髪とガリガリ眼鏡、小太りチビの三人は青年団の顔役で、最も家にやって来る三人だった。平日の夜や、休日に突然ふらりとやってきては、彼らの妻が作ったであろう少しの総菜を片手に、深夜までがなり散らし、酔っぱらっては、母に面倒をかけていた。  昼間はデイサービスの仕事をし、家に帰ってからもおじさんたちの給仕に明け暮れ、休日になると青年団のイベントの雑用にかり出される。中学生の私から見ても、おじさんたちに体よくこき使われているのは明らかだった。  それでも、「ありがたい」が母の口癖だった。  私がどれだけ怒ろうと、縋りつこうと、母は青年団の仕事を頼まれるままに引き受けたし、突然やってくるおじさんたちにも嫌な顔一つせずに応対した。 「せっかく、心配して頂いてるんだから、ありがたいと思わなきゃ」  トントンと小気味よく大根を切りながら母は答えた。 「あなたも学校で教わったでしょう。こんな小さい村じゃ、お互いに支え合って生きていかないと。特に、うちはお母さんとお前しかいないんだから、女ふたりの面倒を見てもらってる分、人一倍感謝しないといけないでしょ」 「お母さんは、悔しくないの? あんな奴らにぺこぺこして。あいつら、うちが逆らえないのを知ってるんだ。知ってて、つけ込んでる!」 「逆らってどうするの?」 ため息をつきながら母は言った。 「逆らって、孤立して、この先どう生きていけるっていうの? こんな小さい村じゃ、噂なんてすぐに広まる。青年団に盾ついた世間知らずとして村中から後ろ指さされて生きていくことになる。うちには引っ越しする余裕なんてないし、あんたはまだまだお金がかかる。」 「それでもいいよ。高校生になったら、私も働く。村中に嫌がらせされても、ふたりで出ていけばいいじゃない。」  母は振り向いてふっと笑うと、私の頭の上に手を置いた。 「じゃあ、大きくなったら、お母さんをここから連れ出してね?」  母が、私を軽くあしらっているのは分かっていた。  それでも私は、母とふたりでこの村を出ていくことを夢みていた。  その夢が叶わぬことを知ったのは、それからしばらくしてからだった。  母が消えたのだ。  何の前触れもなく、母は家から居なくなってしまった。  置き手紙も、別れの挨拶もなかった。ただ、机の上に2万円だけを残して、母は消えた。  母が、もうこの家に戻らないということを理解したとき、私が感じたのは、すさまじい恐怖だった。  自分の足元がすこんっと抜け落ち、暗い穴へ落ちてゆく、そんな絶望だった。  間違いなくその瞬間、私は世界で一番弱い立場の人間になっていた。  結局、私は会ったこともない親戚の家に引き取られることになり、意図せずして村を出ることに成功した。  親戚の家は関東の都会にあり、信号機もコンビニも無かった村育ちとしては、目にするもの全てが新しく、驚きに満ち溢れていた。  親戚家族は優しく、私が望むなら大学まで面倒をみてあげるとも言ってくれた。小さいながらも私の部屋を用意して、新しい高校の制服やバッグも買ってもらい、何不自由ない生活を送ることができた。 「気にすることないのよ。」 「自分の家だと思って暮らしてくれていいからね。」  親戚のおじさんとおばさんはそう言って、私を気にかけてくれたが、私は立場をわきまえていたので、きちんと他人行儀に接し、「お世話になっている」という感謝を繰り返し伝えた。  私は、この人たちに見捨てられたら生きていけない。  そんな恐怖が常に付きまとい、少しでも良く思われようと、週4でバイトをし、わずかでも家に金を入れ、食事をつくり、掃除、洗濯のほとんどを自分から担った。 「無理しなくていいのに」 と、おばは家事をする私によく言った。  その度に「お世話になってますし」と、私は返すのだが、本当は違うのだ。 怖いのだ。捨てられることが。おじとおばの機嫌を損ねて、追い出されることが心底恐ろしく、常に感謝を態度で示し、従順さをアピールしなければならない脅迫観念に襲われていた。  ここで私は、常に感謝を示さなければ生存を許されないほどの、圧倒的弱者だった。  そして、ここにきて初めて、母の気持ちが分かった。  母も恐ろしかったのだろう。しかも、自分だけではなく、幼い娘も生かさなければならない厳しい状況で、誰かに媚びて生き延びられるのならば、誰だって喜んでそうする。  私は、いつかの日、母にかけた言葉を思い出した。 「私も働く。一緒にこの村を出よう」 私がこう言うと、母はいつも軽くあしらって、本気にしてくれなかった。  今ならそれも当然だと分かる。あの村を出たところで、私と母が弱者であることに変わりはなかった。それに、高卒で働いて母に楽させられるほどの仕事など、どこにもない。  だから、私は、ただの愚かなクソガキだったのだ。自分なら母の人生を救えると過信する、世間知らずの無力な中学生に過ぎなかった。  それなのに、「お母さんは悔しくないの?」と母を責めたりなんかして、捨てられたのも頷ける。 「バカだなぁ、私」  今はただ、母に謝りたくて仕方なかった。      サクラと出会ったのは、高校最後の夏だった。  少女はサクラと名乗ったが、偽名であることは容易に予想がついた。というのも、私自身偽名を名乗れと命令されており、また、ここに来るまでに会った大人の誰一人として本名を名乗れるような仕事をしていないことは明らかだった。  バンの後部座席に乗り込むと、先客としてサクラがいた。高校の制服を着て、車イスに座る少女は、私を見ると、ニコッと優しく微笑む。 「出るぞ」  男はそう言って、ドアを閉めると、助手席に乗り込み、運転手の男に合図した。  でかいエンジン音を響かせ、バンは走り始めた。フルスモークで覆われた窓では、外から中の様子を伺うのは不可能だろう。  いかつい男二人と、女子高校生二人。しかもひとりは車イスに乗った少女という奇妙な組み合わせの車内には、交通情報を伝えるラジオだけが響く。  どうしてこんなことになったかと言うと、私が高額給与に惹かれて、JKリフレを始めたことが原因である。  もともとファストフード店でバイトをしていたものの、立ち仕事の疲労と、単純作業に飽き、3ヵ月ほどで働くのが嫌になってしまった。しかし、居候という立場上、高校生といえどもバイトをしなくてはおじとおばに示しがつかない。  そこで見つけたのが、制服で部屋にいるだけで1万円という、怪しさ満点のバイトだった。  とりあえず面接に行くと、その場で採用され、嘘みたいに短いスカートと、見せる用のパンツを履かされ、鏡ばりの部屋でくつろいでいて欲しいと言われた。  その通りに1時間過ごしていると、本当に1万円もらえて帰されたので、味をしめた私は、それから何回か働くようになっていた。  しかし、長く続けるつもりはなかった。どうせ高校を卒業すれば就職するつもりだったし、それまでのいい小遣いかせぎになればいいと思っていただけだった。  それなのに、今日は出勤するやいなや見知らぬ男たちに囲まれ、バンに乗せられるまま、知らない場所へ連れていかれる始末である。連行される際、店長が「時給は出すからさぁ~」と、叫んだ声を聞き取れたことだけは幸いだった。これで無給なら、ただの拉致だ。  すると、となりから、小声でサクラがしゃべりかけてきた。 「ねえ、いくら?」 「何が?」 「いくらで、今日来たの?」  いきなり給料の話をするなんて失礼な奴だな、と思いながらも正直に答える。 「時給3000円だけど」 「じゃ、24時間で72000円。安いね」 「はあ? あなたも一緒でしょ」  苛立って答えると、サクラはきょとんとしてから、いじわるそうに笑った。 「これから、さ、何すると思う?」  困惑して黙っていると、サクラは事もなさげに言い放つ。 「これから、金持ちのおっさんとセックスするの」 「……何?」 「売られたの。いつものバイトだと思った? 違うよ、ほら」 そう言って、スマホの画面を見せてきた。すると、そこには、目線にぼかしこそ入っているものの、確かに私の顔写真と、 「真正JK! 入店間もない新人娘。ぜひあなた色に染めちゃってください!」 というキャッチコピー、そして「お泊り30万~」という値段が書かれたサイトがあった。 「これ……」  絶句する私にサクラは続ける。 「キミの店の『本業』だよ。こうやって、お店に集まった女の子たちに無断で売春させてるの。これから連れていかれるのは、そういうところ。キミの最低価格は30万からだから、時給分の72000円渡しても、残り22万8000円は店の儲けにできる。まあ、キミは顔も可愛いし、もうちょっと高いと思うけど」 「なんで、」 「そんなに詳しいのかって?」 サクラは食い気味に答えると、射貫くような視線で私を見つめ返した。その昏い光に貫かれた瞬間、彼女が詳しい理由を理解した。 「世の中にはね、足の動かない、若い女に興奮する変態が、いるんだよ」  そう言って視線を落とす。彼女の見つめる先には、ひざ掛けで覆われた膝とそこから伸びる二本の脚があった。 「生まれつきなんだ。両方悪くて」  そうしてサクラは、口角だけを上げて笑顔をつくって見せる。  私は、彼女の動かない両足を見つめるのが気まずくて、なんとなく視線を逸らした。  それから高速を降りるまで、私とサクラは互いに沈黙したままだった。 「にげよう」という囁きが聞こえたのは、車内が完全な闇に包まれてからだった。  思わず、隣のサクラを見るが、暗くて顔が分からない。  前の助手席に座る男たちに聞こえないように、私は、勘を頼りに彼女の耳の辺りで「どうやって」と囁いた。
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