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現在三十五歳の月子はもう父親に甘えるような歳ではないとわかっていましたが、郷田から話しかけられるとつい父親から話しかけられたように感じて、ひとり解決できるようなことでも相談をしてしまうのでした。
「安く卵を仕入れられるところを知りませんか。いまのところは高くって」
自転車に乗って仕入れにいっている業務用のスーパーの卵の値段が高かったので、月子は愚痴のつもりで言ったことがあります。安い仕入れ先くらい自分でも探すことができたでしょうが、そんなことでも相談すると郷田はどこか嬉しそうに聞いて考えてくれました。そして知り合いをあたり安くて質の良い卵の仕入れ先を見つけてきてくれたものです。
一年もの間、店を潰さずに続けられたのは、月子の努力もありましたが商売の素人が料理の腕と値段だけで続けていくのは難しいものです。経理の知識もいれば信用と人脈も必要で、月子にはそれらは欠けていました。その欠けている部分を補ってくれたのが郷田でした。郷田は十年以上前まではいま月子の店がある場所で喫茶店を営んでいました。体力的なことから喫茶店は十年前に閉めたそうですが、二十年ほど続けていたそうです。働き盛りで体力にも自信があったそうで、ビルの経営管理だけでは物足りなかったらしいのです。「当時はコーヒーがうまい店と評判でね。客で賑わっていたものだよ。それに比べていまは体力も落ちて喫茶店なんてやれる自信はないよ」などと郷田は遠くを見るように思い出しては、懐かしそうに昔話を聞かせてくれました。
喫茶店を経営していたときのノウハウを活かし、郷田はことあるたびに月子に助言したり仕入れ先を探してくれたりしたのです。もちろん郷田から仕事の世話をしてもらうことには感謝をしていたのですが、月子にとってはそれよりも常にそばにいて心配をしてくれるという気持ちのほうが嬉しかったのです。くじけそうなときも郷田が気にかけていてくれると思うと、心の底が暖かくなってきて前向きになれるのでした。
「若いときに一人娘を病気で亡くしてしまってな。生きていたらあなたと同じ年頃なんだよ。だからか、娘のような気がしてつい余計なことをしてしまうんだよ」
月子によくしてくれる理由を郷田はこう話しました。何歳の時に亡くしたのか、どういう病気で亡くなったのか、そこまでは話しませんでしたが話しをしたときの郷田のうるんだ瞳をみていると、月子は父親のように郷田に接してもいいんだと思うのでした。
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