青空

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 なぜ一人娘が独り立ちした途端に命を絶ってしまったのでしょうか。母は持病を患っているようなこともなく、借金を抱え返済を迫られていたようなこともありませんでした。すぐに思い当たるようなことはありません。死にたいなどと口に出したこともありませんでした。ただ母はときどき「月子が一人前になったらお母さんの役目は終わりかね」などと寂しそうに言っていました。冗談半分で行っているのだと思っていましたが、まさか本当にそれを実行するとは思ってもいませんでした。  責任を全うしたから、それが月子の出した答えでした。もう母がいなくても娘は大丈夫だと考えたのでしょう。生き続ける意味がなくなったのか。それとも早く死にたかったのでしょうか。母は早く死にたかったに違いありません。生き続ける意味を探すよりも死の先にある未来、死の先に待っているものに希望を見出していたのではないでしょうか。  あの世に行けば先に亡くなった父が待っています。その父にはやく会いたかったのではないでしょうか。父を愛するあまり父の死後、恋愛のひとつもしなかった母は、ある意味自殺することで、父の元にいって幸せになろうとしたように思えてなりませんでした。的外れで飛躍しすぎ、夢見る乙女のようなお花畑の空想、都合がよくて自己満足の考えかもしれません。それでも、もし原因があるのならすこしでも前向きな原因であってほしいと、月子は願わずにはいられなかったのです。実際はまったく逆の理由があったとしても、その願いに無理やりにでもしがみつくことがちいさな救いだったのです。 「月子は青空のようになりなさい」という言葉を母の遺言のように守っていました。死の間際に言われたわけではありませんが、この言葉を月子は大切にして生きる指針にしていました。月子は子供のころだけでなく、大人になったいまでも「青空のように生きていこう」と、なにかあるたびに自分自身に言い聞かせていたのです。青空のようにとはどういうことか、はっきりと理解していたわけではありません。それだからこそ、それを探し続けていたのです。青空を店の名前に入れたことは月子にとっては考えるまでもなく当たり前のことだったのです。  母の残した言葉のおかげか、月子は素からあかるく裏表のない性格に育ち、辛いことや嫌なことがあっても暗く落ち込んで悩んだりしませんでした。晴れ渡った青空のようにいつも真正面から気持ちそのままに決めていき、突き進んでいくのでした。深く迷ったりすることもなく、弁当屋をはじめようと決められたのもそんな月子だからでした。端からみれば事業計画もまともにたてずに店をはじめるのは無鉄砲だったかもしれません。すぐに潰れると思われても仕方がありません。ただ月子はそういった負の考えを持つことができませんでした。そのことも勢い任せで弁当屋をはじめられた要因でありました。
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