青空

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 青空亭は街の中心部からすこし離れた場所にあり、郷田が所有する六階建ての雑居ビルの一階に店をかまえていました。ビルの外壁にはレンガ調の茶色いタイルが貼られ重厚感がありましたが、各部屋の窓は大きくて日の光をよく反射していたので暗い感じではありませんでした。築五十年は過ぎて老朽化のすすんだビルでしたが、その分家賃はこの近辺の相場と比べれば格段に安く、貯金を切り崩して開店資金を捻出した月子には家賃の安さには助けられていました。 「シングルマザーというわけだね。子供は小学五年生か。なかなか大変だね」  テナントの賃貸契約を結ぶときに郷田は同情するように言って、月子が値下げの交渉をしないうちから家賃を安くしてくれました。 「とんでもありません。決まった金額を御支払させていただきますから」と、月子は申し訳なく思って断りましたが「これからお店をするのなら甘えられるときは甘えなさい」と、郷田から諭され断りきれなかったのです。以来、郷田にはさまざまな面でお世話になるのですが、月子はこのときはまだ想像すらしていませんでした。  青空亭のとなりにはビルの出入口があり、出入口の奥にビルの管理室があって、郷田はいつもそこにつめていました。事務員の女性がひとりいますので郷田はとくにすることもないようで、いつも管理室にいるときは新聞を読んだり詰め将棋をしたりして時間をつぶしていました。管理室にいないときは、ビルの各階の通路を掃除したりトイレを掃除したりしていました。掃除は専門の業者に委託していますのでオーナーの郷田がする必要はありませんでしたが、郷田は掃除以外にも電球の交換やリサイクルゴミの分別など自らすすんでおこなっているようでした。  郷田は青空亭がオープンしてからは、昼前になると毎日弁当を買いにくるようになりました。七十歳という年齢を気にすることもなく、いつも青空亭自慢のから揚げ弁当を大盛りで買っていきました。よほど胃が丈夫なのでしょうか。ご飯を一粒も残さないで食べているようでした。「油がうまいんだよ。パリッとした皮もいいね。毎日食べても飽きない味だよ」と、郷田は本気なのかお世辞なのかわからないような言い方で食後に感想を伝えにきたりしていました。  毎日店に顔をだす郷田が月子の相談相手になるのはごく自然なことでした。すぐに郷田は父親のような存在になりました。月子の父が生きていればちょうど郷田と同じ歳です。背格好も似ているし、眉毛がたれていて太いのもそっくりでした。月子の記憶では父は茶色く透き通った瞳をしていました。郷田もおなじ茶色い瞳をしています。ただ声は父の方が低かった気がしますし、話し方も違うような気がしますが、それでも郷田と話していると父と話しているような気がしてくるのでした。
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