青空

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 午後十二時を過ぎると近隣のオフィスビルから昼休みの会社員が一斉にやってきます。あっという間に店の前には客の行列ができ、厨房にいる月子は対応に追われます。考える暇などありませんし、ゆっくりと会話をする余裕もありません。弁当を包装紙でくるんで輪ゴムでとめてビニール袋に入れては客に渡し、金を受けとってはつり銭とレシートを渡していく。その繰り返しが二時間近くつづくのです。その後はぱったりと客足が減って店の前には店の前にはだれもいなくなります。店の前をとおる営業マンや街にでてきた主婦が無関心に通り過ぎるだけです。客が引いた後はまるで凝縮された空気が弾けて目の前に大きな空間が現れるように感じるのでした。  店が落ち着きを取り戻した時間になると、いつも斉藤が弁当を買いにきました。斉藤はこの辺りを担当エリアとする不動産会社の営業マンでオフィスビルの賃貸の斡旋などの仕事をしていました。外回りが多く、時間の融通もきくようで昼休みの賑わいが終わったあとを見計らって店にきていました。初夏で汗ばむような日でもクールビズの格好などしないで、長袖のワイシャツにネクタイを締めスーツの上下を着ていました。どうやらきちんとした格好をしていないと落ち着かないようでした。 「そろそろいい返事を聞かせてくれませんか」  斉藤は青空亭の弁当が好きというよりも、月子を目当てに来ていました。このごろ斉藤は来るたびに催促してくるようになりました。交際の申し込みをしてから三か月、いいかげんに待ちくたびれてきたらしいのです。  斉藤はいつものように青空亭で一番人気のから揚げ弁当を買うと、店を入ってすぐの左端に置いてある三脚の丸い木の椅子のうちのひとつに腰をおろしました。客が弁当を待つ間座れるように用意された椅子です。斉藤は紙の包みを丁寧に開けて弁当をひらくと、箸を器用に歯で割ってから揚げを頬張りました。 「僕は遊びで言っているんではないんですよ。結婚を前提として月子さんとお付き合いをしたいと考えているんです」 「いまは仕事のことでいっぱい、いっぱいで、ほかのことは考えられなくて……」  月子はいつもの返事をします。体のよい断り文句ではなく本当に仕事のことしか考える余裕はなかったのです。 「僕もこの店を手伝いますよ。仕事なら辞めてもいいし、仕事をしながらでも手伝うことくらいできますから。ふたりでこの店で一緒に働けば、月子さんもずいぶんと楽になるじゃないですか。息子の健太くんだってお母さんにもっと構ってもらいたいはずですよ」 「でも、仕事の合間にお店を手伝ってもらうなんて悪いし。それに仕事を辞められるも困るし……」
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