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橘匡久は屋上の鉄柵に凭れかかって、新緑の桜の樹を眼下に見ながら微笑んで言った。
「四月生まれならなあ。桜ちゃんとか、いいのに」
桐生誠志郎は匡久の足元に座って、熱心に本のページをめくる。
「五月生まれなのだから、仕方ないでしょう」
風にはもう初夏の匂いが混じっている。
あと数日で世間はゴールデンウィークだ。
そして、五月半ばの某日が、誠志郎の妻の、第二子出産予定日だった。
「そうだけどさ。じゃあ、ブレインストーミングをしよう」
「どうぞ」
「そうだなあ。パンジーちゃん、ヴィオラちゃん、チューリップちゃん……」
匡久は、眼下に見える花壇の花の名前を挙げていく。
すると誠志郎は、それを遮って言った。
「もう少し日本人らしい名前がいいのだが」
「ブレストには、そういう異議を差し挟んじゃダメなんだって。思いつくまま言うんだよ、思いつくまま」
「まじめに考える気がないのなら、少し黙っていていただけるとありがたいのですが」
「何だよ、こんなにまじめに考えてるのに」
「それは失礼」
慇懃な言葉とは裏腹に、誠志郎は匡久を見遣りもせずに、本をめくる。
『女の子の名づけ字典』と書かれたピンク色のかわいらしい本には、さすがに恥ずかしいのか、書店の名の入った紙のブックカバーをつけてあるが、表紙がわずかに透けて見える。
そしてその本は、至る所に付箋が貼られ、角が折り曲げられているのだった。
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