6人が本棚に入れています
本棚に追加
如月 ゆかり(きさらぎ ゆかり) 40歳
「こんばんわマスター。ワンラストキスお願い」
後輩の村井君におすすめのバーをきいたら「ウイングステート東京のトワイライト」と教えてもらって通い始めたけど、ホントにいいお店を教えてもらっちゃった。
彼にここを教えてもらってから、私の中にいたあの人をはっきりと思いだすことができたもの。
「かしこまりました」
初老のマスターは顔色を変えずにカクテルを作り始めた。ワンラストキスは「大切な人との最後のキスをイメージしたカクテル」と、初めてこの店に来たときに教えてもらったけど、本当にあの人とのキスと同じ味がして驚いたし、なによりあの人の温もりみたいなものを身体が思い出したのが信じられなかったわ。
……言葉にできない感情がこみ上げて、思わず東京湾の夜景が涙で滲んだもの。
「どうぞ」
そういってマスターは淡いピンク色のカクテルを私に差し出した。私よりも年上だし、きっとこの人も私のように大切な人を亡くしているんだろうな。じゃないと、こんなカクテルなんて作れない。
そして、他のお客と話したりしてる声は聞こえたりするけど、私に滅多に話しかけないのは、大切な人を亡くしていると知っているから。
大切な人を亡くした者同士にしかわからない、空気みたいなものがあると私は思っている。
「ありがとう」
淡いピンク色のカクテルを受け取って、私は店内をいつもの指定席にむかって歩き始めた。一番奥の窓際、席がある場所がわかりづらくて、隠し部屋ならぬ隠し席と言えるような場所。
ピアノの演奏を見ることはできないけど、誰も私の邪魔をしないからいいの。それに、一番近くで音色を聴くことができるのも案外いいものよ。
最初のコメントを投稿しよう!