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ここまで状況証拠が揃っているのに、肝心の物的証拠が何ひとつ見つからず、俺とサムとの間では容疑者死亡で片を付けたかったのだが、ジョエルの手を逃れた、唯一の生存者――地下室の額縁はもう一人分用意されていた――であるダニエルの証言を取ってからにしろ、というのが上からの指示だった。
殺人課の刑事たちですら目を背けたくなるような写真を、サムは被害者ごとに並べていき、最後の数枚はダニエルの写真が中央に置かれた。
俺はこの手の被害者を追いつめるやり方に反対だ。肉体面のみならず精神面でも大きなダメージを被ったダニエルに対しては、俺やサムのような刑事ではなく、せめて専門の精神科医の力を借りるべきだろう。
案の定ダニエルのヘーゼルの瞳からは、本人も気づかないうちに涙がこぼれてきた。
「……よろしければ、これを」
サムがダニエルにハンカチを差し出す。普段は外見のわりにガサツな上司だが、被害者に対してはスマートなままの優しさで労わった。ダニエルが遠慮して断るとやれやれといった具合にサムはハンカチをしまった。
それからサムは一呼吸置き、真剣な眼差しをダニエルに向けた。
「ドノヴァンさん。もう一度、あなたの目で見てください」
サムはおそらく中央の――ダニエルが全裸でベッドに手錠で繋がれてレイプされていた――写真を指した。
「ドノヴァンさん。あなたは被害者なのですよ……」
ジョエルの地下室には、すでにダニエルの写真も何枚か保存してあった。
ダニエルの証言通り、目と口をダクトテープで塞がれ、身体中にスタンガンの火傷や、ジョエルの爪痕、噛み痕など、死体のふりを強いられたダニエルを荒々しくレイプするジョエルの姿を、まざまざと見せつけられる写真だ。
ダニエル自身いつ撮られたのかわからないであろう写真を見ても、やはり彼は無反応だった。
「あなたは危うくあの連続殺人鬼の七番目の犠牲者になるところだった。あなたがジョエル・クラウスを殺したことで――言葉が悪いのは承知の上です――他の六人の失踪事件に大きな進展があった。ドノヴァンさん。あなたが生きていてくれたからこそ、これから救われた命があるのです。私は以前の配属先で何人もの連続殺人鬼を捜査した経験があります。奴らは自分が死ぬか我々が捕まえるまで犯行を止めない。むしろエスカレートしていくのです。クラウスの場合にも当てはまります。あなたの証言を引用すると『俺たちは愛し合っている』と彼はあなたに言ったそうですね。それも、何度も。死体性愛者のクラウスが初めて生きている人間を愛した。いや、愛そうとしたのでしょう……」
確かにダニエルと他の被害者との愛し方の差は火を見るより明らかだった。幸か不幸か、ダニエルは他の被害者たちよりも長く生かされ続けた故に、ジョエルを殺す機会を得たのだろう。
ジョエルはダニエルに対し、自らを殺させるように、わざと挑発的な態度を取ったり、刃物がある状況下で背中を見せたりしたという。
ジョエルはダニエルを殺したかったのか。それともダニエルに殺されたかったのか。
異常者の考えは、常人である俺にはさっぱりわからない。
「クラウスの言う愛は一方的なものです。もしクラウスが愛というものを知っていたら、ドノヴァンさん、あなたを傷つけるような、ましてや自らを殺させるような言動は取らなかったと私は思います。私は、そして同席しているカーター刑事も、あなたに同じ事を言います。あなたが理解するまで。あなたの心の傷が癒えるまで。何度も。ドノヴァンさん。あなたは被害者なのですよ……」
サムはいつになく優しく慈愛に満ちた声色で、ダニエルを諭すように言った。
ダニエルの口元が苦しげに歪んだ。それから彼は首を左右に振って、言葉を続けた。
「いや。私は被害者ではない。あくまでジョエル・クラウスを殺害した加害者です」
「しかしですね!」
思わず俺は叫んだ。と同時に写真でしか見たことのないジョエルが憎くて憎くて仕方なかった。もし俺がダニエルの立場なら――何度殺しても殺し足りないだろう。サムは俺を振り返り、落ち着くようにとジェスチャーをした。
俺とサムのわずかなやりとりの最中でも、ダニエルはまるで俺たちなど存在していないかのように、さらに続けた。
「ありふれた殺人です。男が男を殺した。ただ、それだけのことです」
ダニエルは、今なおジョエルに囚われている。
彼の首に残った十本の指の痣は決して癒えることなく、まるでジョエルの怨念のようにダニエルの首に纏わりついたままだった。
了
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