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「……秋菜はフランスだよ」
自分の口から出た親友の名前に、自分で驚いた。サラサラのおかっぱ頭にパッツン前髪、奥二重で少しタレ目な彼女は、学校の音楽室でいつも優雅にピアノを弾いていた。芹澤秋菜。
すると夏樹はあからさまにホッとした表情を浮かべた。やんわりもう集まれないよ、と言ったつもりだったが、なんでそんな顔するの。
「よかった。芹澤がどこで何をしとんか、知っとったんじゃ」
そう言われてわたしは大仰にため息をついた。
「知ってたよ」
秋菜は小学校から高校までいつも一緒に居た親友だった。口数が少なく、自分の気持ちはピアノで表現する少し変わった子。高校卒業後はフランスの音大に行き、それからプロのピアニストとしてそのままフランスのパリを拠点に活動しているということは知っていた。秋菜はプロ入り後、新進気鋭の若手ピアニストとして日本でも注目されていた。生まれ育った町は旗やポスターで大賑わいだと母親から聞いたし、CDも何枚か発売されていたり、テレビで特集を組まれていたこともあった。
夢を叶え前に進む彼女はわたしとは真逆で、多分もう、届かない。
「じゃあ、連絡取っとんじゃ?」
夏樹はねぎまを串からひとつずつ抜いている。わたしは串を串入れに入れて首を横に振った。
「全然。『プロ入りおめでとう』の連絡さえしてない」
「……なんで」
「なんでだろう。分かんない。多分、薄情なんだよ、わたし」
自嘲をビールで流し込む。喉越しが悪くて不味く感じた。
すると夏樹は少し首を傾げて、そうかな、と言った。
「こうして突然現れた俺と飲んでくれるところとか、昔から変わらずに優しいと思うけど」
夏樹は三口くらいで頬を少し赤くさせていた。串から外したねぎまのもも肉を一つずつ箸で摘まんで口へ運ぶ。優しいとか言わないで欲しい。箱に閉じ込めて鍵を掛けた想いが揺れそうになって、夏樹を睨んだ。
「ネギも食べなよ」
「明日外回りじゃけぇ食べん。春香にやる」
「あんたが頼んだんだからちゃんと食べなさい」
「えー。お客さんに『こいつ口ネギ臭っ』て思われたくなーい」
「ちょっと、あんたお酒弱いの? 顔真っ赤だけど」
時間が経つにつれて顔の赤みは増していた。目も少しトロンとしていて、放っておいたらその辺で寝そうだ。
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