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「違うよ、なおさん。お客さんだよ。入り口のところで入ろうかずっと迷ってるみたいだったから。」
なおさん、と呼ばれたその男性はまるでモデルのような見目の良い人だった。
無造作な黒髪で全身モノトーンの何の変哲も無いシンプルな装いにも関わらず、その容姿の魅力を隠しきれていない。黒縁眼鏡の奥の瞳は強い光りをたたえているし、成熟した大人の色気をその全身にどことなく漂わせている。
ここまで悠里を連れてきた大型犬青年だって、αらしい恵まれた容姿と溌剌としたエネルギーを感じるが、目の前に現れた美丈夫と比べると、なるほどまだまだ成長途上の若者らしさがあると思う。
日本人の平均身長をはるかに超える長身とバランスの取れた充実した体躯、きりりと意志の強そうな眉とはっきりとした目元の整った顔立ち。
きっとαに違いない。
歳の頃はギリギリ20代というところだろうから、学生ではなく下宿の管理者なのだろう。
「いらっしゃいませ。」
「すみません、ここに俺を置いて頂けないでしょうか。皆さんにご迷惑をおかけしませんから。今日一日どこに行ってもΩは嫌がられてしまって。」
耳障りの良い声で招き入れらると、なんだかほっとして何の前置きもなく一気に言ってしまった。今日1日で何度も断られ、こちらも必死だ。
「え?お茶飲むだけで?」
なおさんは目をまん丸にして驚いているし、悠里をここまで引っ張ってきた大型犬青年も不思議そうに首を傾げている。
「やっぱりΩはここには入れませんか」
「いや、バース性で利用を断るようなことはしてねぇが。」
「お願いします、ご迷惑はおかけしませんから!ここがダメとなると本当に困るんです!」
「え、そんなにケーキ食べたかったの?」
必死に食い下がる悠里とその勢いに気圧されて戸惑うなおさんと、のんびりと首を傾げてますます大型犬らしさに拍車がかかる青年。三者三様の反応が微妙に食い違い膠着状態に陥ったカオスな状況に終止符を打ったのは、冷静な第三者の鶴の一声だった。
「ねえ、なんかみんな勘違いしてるんじゃない?お茶でも飲みながら落ち着いて話そうよ。」
「そっかあ、ごめん。俺はやとちりしちゃって。」
「なんで君はそういっつも猪突猛進なの。」
とりあえず食堂の中のテーブルにつくよう案内され、自己紹介の結果、大型犬もとい髙橋北斗は悠里と同じ大学の3年生だということが判明した。一方、3人の勘違いによる膠着状態に終止符を打った彼は名前を葉山郁人いい、なおさんこと葉山直人と親族で同年齢の29歳らしい。
「ここは元々は確かに君が思った通り西北学院の学生向けの下宿だよ。今はなおが引き継いで、古いから流石に下宿はしてないんだけど雰囲気はあるからって食堂でティールームやってんの。」
言われてみれば、カウンターに並んだガラスのケーキスタンドやカップボードに並ぶ和洋も様々なカップアンドソーサーは明らかに下宿の雰囲気ではなくカフェのそれで、はじめに室内に入った時点で気付くべきだった。室内に入った瞬間にとらえた洋酒の香りは一瞬αのフェロモンかと身構えてしまったが、ケーキ類に使われているものだろう。
この洋館に出くわした時にはまさに救いに神、一縷の望みと藁にも縋る思いから彼らには初対面で不躾なお願いをしてしまった。
「すみません、俺、何とか部屋探さないとって必死で。」
「気にしないでよ、先に勘違いしたのこっちだし。寮で水道管が破裂したかと思ったら、耐震基準に不備が見つかったとかでしばらく工事で3人部屋になるって、寮に入ってるやつが騒いでたもんね。」
「Ωだとそういう時、つらいね。分かるよ、僕にも。」
やはりそうか。明らかにαと分かる容姿の直人と親族の郁人だが、その容姿は直人とは対照に中性的。身長は比較的高い方かもしれないが骨格は華奢だし、色素の薄い柔らかそうな髪質の直毛も涼やかな目元もどこか中性的だから、同じΩでは無いかと思ったのだ。
「抑制剤が割と効くタイプみたいで今まではうまくやれてたんですけど、流石にαと同室は怖くて。」
「そのαと一つ屋根の下だ。個室じゃあるが設備は寮とは比べ物にならんぐらい古い上にシャワーとトイレは共同。それでも我慢出来るか。」
「え?」
「食事も寮みたいなメニューはさすがに出せない。何かと手伝いをお願いすることだってある。それでもいいか。」
今までカウンターの中で黙って作業をしながら悠里たちの会話を聞いていた直人がいつのまにか背後に立っていた。
突然会話に入ってきたので思わず驚いて振り向いたが、同じく北斗も郁人も目を丸くして驚いた顔をしている。
直人は3人の反応は気にも止めずテーブルにティーセットを手際良く並べた。
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