②御守りがわりのティーリーフビスケット

1/5
前へ
/34ページ
次へ

②御守りがわりのティーリーフビスケット

 カーテンの外から漏れてくる柔らかい朝の光が頬をなで、悠里は布団の中で背伸びをした。  カーテンを開けて上げ下げ式の窓を開けると、日の光と朝の冷たい空気が室内に入ってくる。窓から身を乗り出すと、予想通りの人物が裏庭で洗濯物を干していた。  「おはようございます。すみません、今から行きますね。」  「おお。ゆっくりでいいぞ。」  相変わらず、眼鏡の奥には威圧感を与えてしまいそうな眼差しの強さはあるが、悠里を見上げてわずかに笑うその表情は優しい。ぶっきらぼうな口調や迫力のある容姿とは裏腹に、穏やかな気性の人だということは、下宿をはじめてからすぐに分かった。      あの夜、不思議な巡り合わせで悠里が白梅荘の住人になって1ヶ月が過ぎようとしていた。  住んでみると確かに白梅荘は確かにかなり年季の入った建物であるが、思いの外快適に過ごすことが出来ている。   悠里が下宿することになった居室はベッドとデスクのみのごくシンプルな設えの板張りの部屋で、長い歴史を感じさせるよく使い込まれた和洋折衷のレトロな雰囲気の調度品や家具はなんだかほっとする。  ここは元々は大学の創立から程なくして建てられた、大学の教員や宣教師のための滞在施設だったらしい。西北学院大学は元々女性宣教師がキリスト教普及の目的もあり創立した大学なので、この和洋折衷の雰囲気も納得だ。  その後、学生向けの下宿に転身、一時は留学生の受け入れ所にもなっていたが、長い時を経て今に至るのだという。  共用のタイルばりの洗面台も、剥き出しの飾り気のない蛇口も、なんだか味があっていいよなあ、と今朝も身支度をしながら思う。   2階部分は廊下を挟んで合計6部屋の同じ造りの居室があり、郁人と北斗もそこに下宿しているのだが、直人の住む1階の元管理人室だけは畳敷で簡易のキッチンや専用のバストイレが付いているらしい。  簡単な身支度を済ませると、飴色に黒光りする階段を軋ませて階下に降りた。階段下の物置から掃除道具を取り出し、共用部分の掃除に取り掛かかる。  これは下宿するに当たって1番はじめに取り決めたことだ。元々郁人の北斗の2人が自発的に行っていたそうなのだが、格安の家賃で下宿させてもらうかわりに白梅荘の掃除や必要な時は修繕の手伝いを行なっている。この春から進級により北斗が忙しくなり、直人は「ゆりが来てくれて助かった。」と言ってくれてはいるが、ここにきた経緯と破格の家賃を考えると、この程度では恩返しには程遠いと思っている。  せめて与えられた仕事は丁寧に、と思いながら玄関を掃き清め、「ティールーム白梅荘」と書かれた看板の乗ったイーゼルを玄関前に出したところで、ふと背後から頭に手が乗った。  「朝飯、出来てるぞ。」  「…すみません!俺、気付かなくて。」  その手は悠里の手とは比べ物にならないほど大きいのに、とても繊細で優しいと思う。その  「いや、いつも丁寧にしてもらって悪りぃな。」  それだけ言ってかすかに口角だけて笑うとすぐに背を向けられる、それがなんだか少し寂しい。今まで、人付き合いは注意深く避けてきたのに、そんな気持ちになるのがなんだか不思議だ。  フェロモン不全の体質だと聞いたが、確かに今までの一ヶ月直人ならは一度もαのフェロモンを感じたことは無かった。だからこそ今までの生活でそうだったように、他人に対して過度に神経を尖らせ警戒することなく、自然と接することが出来るのはありがたいし、嬉しい。  ありがたいのだが。一抹の寂しさを感じるのは、なぜだろう。       
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

184人が本棚に入れています
本棚に追加