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「お嬢様、新しい紅茶をお持ちいたしました」
軽いノックをしてシャーロックがワゴンを運んでくる。私は息を呑んで冷たい表情を作り、振り返った。
「あの目障りなメイドは追い出した?」
「はい、いとまを出したました」
熟練された動作で淹れられた紅茶を受けとる。香り高い紅茶は文句なしに美味しかった。
「お味はいかがでしょうか?」
「先ほどの泥水よりは、お湯に色がついているだけましね。スケジュールは?」
「ニーズ男爵よりお茶会のお誘いが届いております」
「たかが男爵家の分際で伯爵令嬢の私に足を運べと? 薄汚い豚は顔を洗って出直しても豚に変わりないと返しなさい。一言一句違えずよ。他には?」
「ヴァレンタイン公爵家より舞踏会のお誘いが届いております、こちらは必ずご出席くださいますよう」
「嫌だわ、あの家にたむろする種馬どもは私に対して、聞いているだけで胸が悪くなりそうな甘ったるい世辞を浴びせかけて私が誰に笑みを返すか賭けているのですもの。心にもない口説き文句を延々と聞かされるくらいなら陰口で下劣な連中の罵詈雑言を聞く方がよほど気晴らしになるわ」
「ですが……」
「──聞いていれば悪しざまに言いたい放題に言うではないか、ローザ。まったく、聞くに耐えない」
「あら、お父様。立ち聞きだなんて貴族のすることかしら」
ドアを開けて嘆かわしい面持ち──苦虫を噛み潰したような顔で立っている父にも遠慮なく言い放つ。父はもう随分長いこと私に笑顔を見せたことがない。当然だ。
「ローザ、お前の評判は社交界でもひどいものではないか。これでは我が家の一人娘として安心して嫁がせることもできん。我が儘も大概にして心を改めてはどうだ」
親の言いなりに政略結婚など冗談ではない。これこそが今の私の望む展開だ。まったく、一人娘というのはままならないもので、いまだにお父様は私を使えるとでも一縷の望みを抱いているのか。お笑い草だ。
「私は正直なだけですわ。まったく、貴族の皮を被った獣の多いこと。欲と思惑だけで動く品性の欠片もない輩に愛想を見せたところで何の益になるとでもお思いかしら」
「──ローザ! いい加減にしなさい! お前はいつからそんな憎まれ口をきくようになったのだ?
幼い頃は素直でおとなしい娘ではなかったではないか 」
それは、幼い頃に自我がなかっただけだ。私には、今、ひとつの意思がある。それが私に鞭打ち、奮い起たせている。
「あら、お父様。私はお父様を見て育ちましたの。お父様こそ私の鑑ですわ」
お父様の顔色が怒りで赤くなってくる。けれど、それでいいのだ。
私の望みは『使えない駒』の烙印を押されること。見放されればいいのだ。
黒薔薇としての立ち居振る舞い、心構え、そうしたものは全て、あの男から教わった。そろそろ、あの男も口を挟んでくるだろう。
「──旦那様、朝のご予定が押しております。ご不快なものをご覧になって今日のお仕事に障りがございましては」
シャーロックが控えめに提言する。シャーロックは私を庇わない。庇わない言葉で、私を守る。
「うむ……いいか、ローザ。誘いを受けた催しには快く参加するように。決して相手に失礼がないようにするのだぞ」
「私は嘘がつけませんの。偽りの笑顔で表面上だけは和やかにいたしまして、その裏では貶めあう社交界には辟易しておりますわ」
その言葉に、お父様は怒りをあらわに鼻息も荒くして「お前に諭せば分かってくれると思った私が愚かだった!」と荒々しくドアを閉めて立ち去った。
願いを叶えるために、私はひとつずつ孤独になってゆく。お母様は私への関心を失い、社交界での付き合いを楽しむことに余念がない。お父様は日々私に失望してゆく。心が離れてゆくのが分かる。従者たちは私を恐れ、裏では悪しざまに罵っている。社交界では愛想なく相手を罵ることが当たり前の私に親しみを感じるものなどあろうはずがない。
それもこれも、孤独の果てに愛を得るためなのだ。
私は、シャーロックと二人きりになった部屋で、躊躇いながら口を開いた。
「シャーリィ……私、うまくできたかしら?」
シャーロックは手を伸ばして私の頬を包み、悪魔のような美しい笑みを浮かべた。
「ローザ様、今朝もよくできましたね」
それだけで満たされる私は愚かなのだろうか?
けれど、シャーロックが欲しい。
彼の心が欲しい。
それは、初めて出逢った14歳のときから変わらないのだ。
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