自然をきれいと思えない

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自然がきれいですね。 そうですね。 よく見られる会話だが実際そうなのか? 僕が知る限りの大正から戦後の文学視点で考察してみる。 その前に僕は自然はきれいだと思えないということを宣言しとく。 戦前の文学は自然主義が隆盛した。 よって日本文学を語るとき、鐘の音の綺麗さや木の美しさがセットで良いものと思われた。 戦後の文学はどう生き抜くか、何を表現しようかに変わられた。 しかし私達が美しさを語るとき、それは綺麗と言われるものを文学、芸術と言うのは変わっていないのである。 初めに挙げた自然が綺麗と言う感覚である。 僕はこれを悲しいものと捉える。 何故ならばそれは作られた美しさであるし、何も産み出さないからである。 実際僕が自然に出るとき、自然が綺麗だと思えない。どちらかと言うと恐怖の方が先にくる。熊に出会わないか? 体は痒くならないか? どっかに足をひっかけないか? 等。 しかし、絵画を見るとき自然が綺麗だと言わされる。 これは何なのか?僕には疑問である。 実際美しさは何なのか? その答えは何なのか? 僕はその答えにたどりつかなく現在をさ迷っている。
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