コロナ渦中の闘病日記 -Ⅸ,緊急入院②-

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コロナ渦中の闘病日記 -Ⅸ,緊急入院②-

以前、友人から私の人生を以下のように評された。 「昼ドラみたいね」 あぁ、確かに。 私は妙に納得して首を縦に振った。 「脚本書いてドラマとか小説化してお金を稼 いじゃぇ!」 暗く重い私の思い出話を話題を笑いに変えてくれた。彼女なりの私への励ましだと直ぐに察した。 「そうね」 苦笑いを浮かべた私を彼女がどう思ったか知らない。私から別の話題に変えてしまったし、特に知りたくもなかった。 私が4歳のときに母親の不倫が原因で両親は離婚した。私と妹は父方の祖母に育てられたが、それは同時に祖母から私への虐待の日々の幕開けでもあった。 私は幼稚園に通う前から、私には母親がいない不安を常に抱えていた。皆に母親がいて、私にはいない。甘えられる大人が誰1人いない。 大人になるにつれ、私は"しっかりしている"、"真面目"、"優しい" と周囲に言われるようになった。 違う、違う、違う。 本当は、甘えたいし、我が儘言いたいし、我慢なんてしたくない。 でも家庭が子どもらしい振る舞いを許してくれなかった。 駄々をこねれば癇癪を起こした父方の祖母に、素手で頭と身体の至る箇所を何度も何度も叩かれた。布団バサミで頭を叩かれたのは2~3回では済まない。突き飛ばされ、箪笥に頭をぶつけてコブが出来たこともある。 立派な虐待である。 父は気弱で大人しい性格だが、キレると何をするか分からない人だ。唯一、父と母が一緒にいた場面で思い出せるのが、私の歯ブラシを真っ二つに"バキン"と、音をたててへし折った父を母が無言で見ていたことだ。 妹はまだ生まれていなかったから、恐らく私は2歳後半から3歳くらいだった。夜眠くて歯磨きを嫌がる私を見かねて父がキレたのだ。鬼のような形相を浮かべた父を怖くて直視できなかった。 しかも、父は祖母の癇癪から逃げるように家にはあまりいなかった。育児の大半を実の母親である祖母に押し付け、自身は冬になるとスキーで年末年始はいなかったり、土日はサウナ、パチンコなど忙しそうだった。 父からはネグレクトを受けていたのである。 子どもなのに大人であることを常に祖母や親戚から求められていた。 長女だから、お姉ちゃんだから、いずれは家を継ぐんだから。あんたのお父さんは頼りないから、しっかりしなさい。 物心ついたときから掛けられた呪縛は成人しても消えなかった。 苦しい、逃げたい、人生を放り出したい。 私の人生をリセットしたい。 気がついたら大粒の涙を流していた。 心臓のエコー検査の結果、感染性心内膜症と診断された。詳しい病状の説明を受け、男性医師に「今すぐ入院しなかったらあなた死にますよ」と、脅し紛いの言葉を浴びせられてもあまり動じてはいなかった。 この病院、患者を急いで獲得しないといけない程経営が危ないのかな。これはただの脅迫だ。 冗談抜きで男性の医師を、ただの怖い人だとレッテルを貼った。 パソコンに向かっている若い女医は研修生か? そんなことより、この展開についていけないのだが。また苦しまなくてはいけないのか?私の人生はどうして昼ドラ4クール+特別編が出来そうな程、困難の連続なのか? 27歳で鬱病になり、10年以上たった今でも精神を病んで苦しんでいるのに、また病気? 己の人生を怨み、嘆き、哀れんだ末の涙であり、決して「死ぬ」宣告をされたからではない。 少し時間を巻き戻そう。 腎臓内科から急遽心臓のエコー検査を受け、緊急外来に案内された私は、高熱と気だるさで歩くのがやっとだった。 「フラフラじゃない。車椅子に乗りますか?」 「いいえ、歩きます」 車椅子?誰が使うか。救急外来は直ぐそこなんだから。 精一杯の強がりをするも、身体は正直だ。 足が重いし、座りたいのが本音だった。 重い足を引きずるように緊急外来に入ると、今まで見たことの無い目を見張る光景が飛び込んできた。 右には複数あるベッドの1つに緊急搬送をされた患者が1人横たわっていた。身体中に管を通されて機械が呼吸を管理している。当然のことながら患者は眠っている。 左には見たことがない機械が並び、その間を通った先を、更に右に曲がるとPCR検査を受けられる大人2人が入れるくらいの狭い個室があった。 容赦なく鼻に細長い棒のようなものを突っ込まれた。暫く待つとコロナ陰性が確認され、今度は緊急外来の診察室に案内された。 若い女医がパソコンに向かい、直ぐ後ろに男性の医師が立っていた。椅子に座るなり、緊急入院をするように言われたのである。 女医がエコー検査の結果を大きな画面に映し出し、あれこれ説明してくれるが理解が及ばない。 辛うじて理解したのは、心臓の弁に菌の塊が付着しており、塊を取り除かないと心不全か脳梗塞になること、既に脳に菌の塊が飛んでおり、その周辺に血栓があるかもしれないことだ。 抗生剤の投与を最低4週間と検査を重ねないと詳しく病気の進行具合が分からないそうだ。 医療の専門用語を並べられても素人に分かるはずがない。はぁ、そうですか、くらいにしか話を聞いていなかった私にイラついたのだろう。 1回目の「今すぐ入院しなかったらあなた死にますよ」発言が女医の後ろに立っていた男性の医師から出た。 言われる前からボロ泣きである理由は先に述べた通りである。きっと医師2人は診断のショックで泣いていると思ったに違いない。 私がいかに危ない状態でいつ死んでもおかしくない旨を必死に説いてくるが、人生初の入院が緊急入院、かつ今にも死にそうな程容態が悪化していた患者が冷静な判断をできる訳がない。 「今すぐ入院しなかったらあなた死にますよ」 固まって思考が停止し、涙を流している私に向かって2度目の「死にますよ」発言が出た。 女医は黙ったまま、私を見ている。 20年以上連れ添っているパートナーに入院について相談ても良いか許可を貰い、スマートフォンを取り出た。通話開始ボタンを押す指が震えていた。 「何で相談なんか」 ぼそっと呟いた男性の医師を、私はちらりと見た。嘘でも入院すると言わないと帰れないな。下手したら軟禁されそうだし。このまま本日分の検査費を置いて逃げようかな。 私は電話が繋がったパートナーにさっと事情を話し、女医にスマートフォンを渡した。 女医は無表情でスマートフォンを受け取り、パートナーと話を始めた。実はポーカーフェイスを装っていただけで、女医は動揺していた。興奮気味にパートナーに早口で病状を説明し、パートナーは、え?あ、はぁ…と相づちをうっている。 要約すると、菌に侵された私の心臓が持ちそうにないから今すぐ入院させろ、とのことだ。 勿論、パートナーだって大混乱である。 私にもはや入院以外の道はないようだが、一旦帰らなくては。 病床が確保できるか分からない、一週間開いたら受け入れが出来ない、今すぐ決断しろと、再び喚く男性の医師を無視した。 「明日から入院しますから、今日は荷物を 取りに帰らせて下さい。パートナーにも説 明をしたいので。宜しくお願い致します」 女医が目を見開いた。 男性の医師は嬉しそうに病床の確保の連絡を始めた。 私は妥協して入院を決めた訳ではない。 断言する。 高熱に加え、全身に悪寒と震えが襲ってきて、目が霞んできたからである。このままでは本当に死ぬ。身体の細胞が悲鳴をあげていた。 このまま阿保みたいなやり取りに付き合っていたら、意識がなくなり帰るどころではなくなってしまう。 兎に角、私を心配しているパートナーに説明をしなくては。 「じゃ、ベッドに横たわって。聴診器あてる から」 まじかよ!帰れないの? しかも、ついさっきから首から両肩に掛けて激痛が走ってきたから横になれないよ! もはや反抗する気力もなく、首と肩が痛い旨を何とか伝え、看護師に横になるのを手伝って貰った。 足の浮腫を触診された。左足の親指に赤紫色の斑点を男性の医師が見つけた。どうやら血液に乗って末端に菌が流れ着いて居座っているようだ。 血液培養のために本日2回目の採血をされ、漸く解放された。17時を既に回っていた。 「(感染性)心内膜炎なのに、立って歩いてい るんだよなぁ」 また、ぼそりと男性医師が呟いた。 浮腫の触診をしているときは人の足を触りながら女医が引っ越しをする話で盛り上がっているし、採血の際は女医がビニール製手袋をうまくつけられないとか、ずっと雑談をしていた。 テレビでみた緊急入院と随分雰囲気が違う気がした。 その脇で看護師が世話しなく動いて、私を気に止めつつ2人のサポートをしている。 重病患者を差し置いて、汗で手袋がうまくはいらないだの下らない話をされると不快極まりない。 「2枚重ねてつければいいじゃん」 「あー、本当だ、入りました」 さっさと手袋をはめて採血をして下さい、女医さん。私は帰りたいんです。 ぐったり横たわる私が聞いていると夢にも思っていなかったのか、後日、その若い女医に(なんと主治医になった)以前救急外来で世話になった際に、引っ越しの話を耳に挟んだことを話した。女医は顔を真っ青にした。 「私、そんな話をしていません」 「あんたバカぁ?」 絶賛公開中の映画・エヴァンゲリオンに出てくるアスカみたいに叫んでやりたくなった。 筆者は自他ともに認めるオタク(ヲタク)である。エヴァンゲリオンの公開直前に緊急入院となり悔しくて泣いた。池袋のアニメイトにも秋葉原のラジ館にも暫く行けないと察し、更に泣いた。3月中旬に予定していたイベントに参加が出来なくなる悔しさで、号泣した。 オタ活(ヲタ活)が出来ない生活など、生き甲斐がなくなり萎れた人生になるだけだ。 そうこうしているうちに夕方17時過ぎにやっと解放され、会計を済ませると18時を過ぎていた。 寒気が一段と増し、手袋とマフラーをしっかり身につけて何とかタクシーに乗り込んだ。 入院しないと駄目かなぁ。 命に関わる危険な状態にも関わらず、入院そのものを渋った。 2人の医師のやり取りを思い出し、タクシーの中で深いため息をついた。 疲れた…。
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