セイシノハナ

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 ほんの数時間前まで,高速道路の渋滞を避けるために,よく知る抜け道を車で走っていた。湿気のある空気が微かに開けた窓から車内に入り込み,フロントガラスを内側から曇らせた。古い平屋建ての家が建ち並ぶ住宅街を抜けて舗装された山道を使い,小さなコンビニを通過するまではいつもと何も変わらなかった。  遠くに見える山肌は,新緑のなかに淡く白い部分が点々と見えたが,それが葉なのか花なのか植物に興味のない自分にはどうでもよかったが,季節を感じて気持ちがほころんだ。  しばらくして(もや)がフロントガラスを滑るように前から後ろへと流れていくのに気づいた。山の天候は変わりやすいと聞くが,一瞬で真っ白な霧に覆われ,考える間もなく車は視界のない真っ白な世界に呑み込まれた。 「おっと……すごい霧だな。マジか,全然前が見えねぇ……雲のなかみたいだ」  視界を奪った濃霧から逃げるようにしてスピードを落とし,ハザードランプを点けたまま道路の脇にある砂利の敷かれた避難スペースに滑らすように車を停めた。  これまで経験したことのない突然の濃霧に驚きながら,車から降りて周りを見回した。不思議なほど無音な世界は,すべての音が濃霧に吸い込まれているような感覚だった。足元の砂利がやけに白く見えたが,これも霧のせいだと思い妙に歓心した。 「すごいな……こんな霧は初めてだ……せっかくだから撮影しとこう」  視界のない山道を運転するのを避けて車を停めたが,近くを車が走っている気配はなく,軽い気持ちで道路に出てスマホを手に濃霧の様子を撮影した。  どこを撮影しても真っ白で,撮影した画像を確認してもなにも写っていなかった。自分の車さえも,ほんの少し離れただけでシルエットしか見えなくなり霧の濃さに驚かされた。 「マジですごいな。こんな濃霧ってあるんだな。霧の中に綿みたいな小さな花が混じってて……まったく音もないなんて,幻想的な映画のワンシーンみたいだ……」
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