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第一章
小さな町の小さなラジオ局から、聞き覚えのある声が流れる。
《みなさん、こんにちは。時刻は午後三時となりました。十一月七日金曜日のアフタヌーンラジオ789、小野さわ子が三時間生放送でお送りします》
県境の長いトンネルを抜けた、まさに雪国の入り口の町に『FMゆきの里』のスタジオがある。
《気象庁発表の長期予報によりますと、今年は平年より多い降雪が予想されます。冬タイヤへの交換はお早めに。では、ここでリクエスト曲をお聴きください》
大通りに面したガラス張りのスタジオの中で、さわ子はひとりで音響機器を操作する。ラジオパーソナリティー歴五年にもなると、手慣れたものだ。曲は、十年ほど前に流行した男性シンガーの、冬の到来を告げる歌を流す。
《それではみなさん、よい週末をお過ごしください。ここまで小野さわ子がお送りしました》
さわ子はヘッドホンをはずしてデスクに置いて、肩を大きく回した。生放送が終わると緊張が解けて、ほどよい達成感と疲労がどっと出る。今日はあとひと仕事だ。番組の反省会に向けて、もう一度気を奮い立たせた。
「小野くん、リスナーからの苦情が入りっぱなしだぞ」
事務室の中で、局長が仁王立ちで待ち構えていた。髪の薄い頭頂部まで真っ赤にして、ファックス用紙を突き出す。
「ラジオで流す曲は、薬物使用で逮捕歴のある歌手はタブーだと知っているだろ」
「しかし、この歌手は謹慎期間も済んでテレビにも復帰していますし……」
さわ子の言葉を遮って、局長はファックス用紙を机に叩きつけた。
「テレビはテレビ、ラジオはラジオ。ここみたいな田舎では、不謹慎だとうるさい人も多いんだ。」
「はぁい。以後、気をつけます。失礼いたします」
さわ子は首を垂れて退出したが、内心で舌を出した。この曲は、あるリスナーからのリクエストで、どうしてもかけたかったのだ。
『さわ子さん、リクエスト曲お願いします。これから厳しい季節に向かうそちらの地方へUターン就職した友人を励ましたくてリクエストしました。番組、いつも楽しみにしています』
さわ子は、このメッセージの宛先を、去年の自分に重ね合わせた。
さわ子は大学卒業後、全県エリアの民放ラジオ局『FM県都』に就職した。大手マスコミ志望であったのだが、高倍率の系列テレビ局からは内定をもらうことができなかった。それでもラジオの仕事は楽しくて、番組制作の手伝いや取材のかたわら、収録現場に立ち会い機材の使い方を学んだ。入社四年目で情報バラエティー番組の担当を任された途端に、突然『FM県都』が経営難を理由に閉局してしまったのだった。ラジオの仕事を続けたいさわ子は、山間部のコミュニティー放送局『FMゆきの里』に再就職した。それから半年たって、これから雪国で初めての冬を迎える。
「よそ者のラジオは、私たち田舎者には合わないわよね」
都会から来たさわ子の担当する番組は、必ずしも評判がよくない。話題が浮ついているだとか、若者向けの曲しか流さないなど陰口を叩かれているのも知っている。僻地独自の閉鎖性は、転職してきたときから感じていた。
『FMゆきの里』は、周波数78.9MHzのFM波のほかに、サイマル放送というインターネット配信で全国どこからでも聴くことができる。地域の情報を流すだけではスポンサーが着かずに、いずれ『FM県都』のように停波になってしまう。さわ子は、どうしたら自分の特色を活かすことができるのか悩んでいた。
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