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ジャパン・オブ・ザ・デッド(前編)
玄川蝦夷
「橋下が喰われてるぞ」
兄ちゃんにそう言われて、リビングでテレビを見ると、生放送の記者会見に及んでいたはずの橋下大阪市長がゾンビに襲われていた。
スタッフの怒号に記者の悲鳴にと、画面の中は阿鼻叫喚だ。
「静岡市にも来るかな」
僕が恐怖に震えて半べそで訊くと、兄ちゃんは眉根を寄せて危機感を露わにした。
「時間の問題だ。ゾンビの群れは東に移動している」
外来種のゾンビが、日本に初上陸したのは去年の春の事だ。
二年前、米国の研究所で生まれたゾンビは、研究員を始め次々と人を襲い、米国東海岸に増殖した。
しかしオバマ大統領は、ゾンビに噛まれてもゾンビ化しないワクチンの開発予算を早期に可決して、ワクチンを大量製造して感染拡大を阻止した。
その後ゾンビの群れは米軍により駆逐され、一部は捕獲されて研究所や動物園に送られた。
米国東海岸のゾンビ騒動は、約一カ月で収束したのだ。
その後、ゾンビの一体が、日米友好のために兵庫県神戸市の動物園に貸し出された。
しかし1ヶ月前に、その動物園のゾンビ『ランラン君』(生前はコックだった白人男性)が脱走して人を襲った。
それが始まりだった。
米国政府は即座にワクチン十万本の輸出を決めたが、船で輸送されたワクチンは、先週東京湾に着いたばかりだ。
一ヶ月の間に、ゾンビは増殖しまくった。
神戸の街は、ゾンビに埋め尽くされ、彼等の楽園と化した。
それが三日前の事。そして今日、大阪市庁舎をゾンビの群れが襲った。
一週間もすれば、近畿地方はゾンビの楽園になる。
僕が住む東海地方もそう遠くない未来にゾンビに侵略されるだろう。
「どこかに避難しよう」
リビングのソファーで新聞を読んでいた父が、溜め息混じりに言った。
「でも何処の県も、ゾンビ流入を危惧して道路を封鎖しているじゃない。何処に逃げるのよ」
キッチンで洗い物をしていた母が応える。
「静岡県内で安全な場所を探すしかない。伊豆半島の島なら、ゾンビ流入は無い。ゾンビは操船出来ないだろうから、島なら安全だ」
父の横に座る兄が提案した。伊豆半島の島とは、伊豆諸島の事だと思う。
「僕、東京に行きたい。東京に避難しようよ」
「だから道路も線路も封鎖されてるから無理なのよ。ワガママ言うんじゃないの」
母さんに怒られた。
「確かに島なら安全かもしれない。伊豆諸島は東京都だから、既にフェリーは着岸禁止になっているかもしれないが、下田辺りから漁船をチャーターすれば、避難も可能だろう」
父さんが兄ちゃんの提案を呑んだ。下田というのは、伊豆半島南端にある港町だ。
「じゃあ明日にでも、父さんと母さんは、次郎と三郎を連れて伊豆に避難してくれ」
次郎とは僕、三郎は飼っているチワワの事だ。
「お前はどうするんだ、一郎」
「俺は、警察官として最後まで市民を守らなければならない」
「兄ちゃんは残るの?じゃあ僕も残って、ゾンビと戦う!」
「お前は、まだ子供だから、足手纏いになる。父さん達と逃げろ」
「中学生でも戦えるよ!もう十三歳だもん!学校で剣道習ってるんだよ?」
「ゾンビをナメちゃいけない。奴等は狂暴だ。竹刀じゃ太刀打ち出来ない」
その後も僕は、兄ちゃんと一緒に戦いたい、と懇願したが結局却下され両親と避難する事になった。
翌日、両親と僕と三郎は、父の運転する避難用具を満載した車で、大渋滞の東名高速道路を東に向かった。
分かりきっていた事だが、高速道路の途中にバリケードが築かれ、神奈川県には進めなくなっていた。
僕達の乗る車は、静岡県の東の端っこの熱海市のインターチェンジで高速道路を降りた。
夕焼けに染まる熱海市は、避難民で溢れていた。道路も公園も避難民でいっぱいだ。父さんが、車を海岸沿いの公園に止めた。
「私達も今夜はここで過ごそう。明日、伊豆半島を南下して下田に向かう」
そしてトランクの非常食を少しだけ食べた。ラジオを聴くと、ゾンビの大群は愛知県名古屋市に到着し、自衛隊が交戦中と放送していた。数が増している分、ランラン君脱走直後よりも感染地域の拡大も早い。
静岡市に残してきた兄ちゃんは大丈夫だろうか。愛知県との県境に展開している自衛隊や静岡県警は、今頃臨戦態勢かもしれない。
そして日が暮れると、家族三人と犬一匹、車内で肩を寄せ合って眠りに就いた。というのは嘘だ。実際には僕は眠るフリをしていた。
そして父さん達が熟睡するのを待っていたんだ。
両親が鼾をかき始め、周りの避難民も静かに眠りに就いた頃合いを見計らって、竹刀を背負った僕は車外に出た。三郎も一緒だ。そして夜陰の街を、高速道路のインターチェンジ目指して歩き始めた。
静岡市に戻るためだ。兄ちゃんを一人死なせるわけにはいかない。僕も戦うんだ。
途中、コンビニに止めてあった自転車を盗むと、前篭に三郎を乗せてインターチェンジを登った。そして東名高速道路を西に引き返す。 休まず走れば、明日の昼には静岡市に着くだろう。
「三郎、一緒に兄ちゃんを助けに行こうな」
三郎はクウ~ンと鳴いた。
朝日が背後から差していた。 場所は丁度、富士山の南側だ。高速道路には、相変わらず車が溢れていた。だけど避難民のほとんどは、車を捨てて徒歩で東に向かっている。
僕は、人の流れに逆らって西を目指した。
そこから暫く走ると、西の空に煙りが見えた。空が灰色に染まっている。
煙りが上がっているのは、丁度静岡市か、その西の焼津市の辺りだ。
自衛隊のヘリコプターが、僕達の自転車を追い越して行った。ヘリコプターは煙りに包まれた空に消えて行く。
僕も早く静岡市に戻りたい。ペダルを漕ぐ足を早めた。
一時間も走ると、静岡市の東端の清水区に差し掛かった。街は静かで、人っ子独り居ない。
まだゾンビとの戦場にはなっていない。
清水区のインターチェンジで高速道路を降りると、無人の街を走った。取り敢えず清水駅を目指して、そこから線路沿いに静岡駅を目指すつもりだ。静岡駅から、兄ちゃんの勤める警察署までは近い。
警察署に着いたら兄ちゃんを探して、一緒にゾンビと戦う。
清水駅に着くと、駅前のロータリーにテントがいっぱい張ってあった。自衛隊の装甲車や戦車も止まっている。
慌ただしく行き交う自衛官が叫んでいた。
「現在、焼津市と静岡市との境にある大崩海岸で、第三歩兵部隊がゾンビの大群と交戦中!弾薬が不足している模様!」
「補給を急げ!」
「バイパスのトンネルは爆破完了!完全に封鎖されました!」
静岡市は、その昔、徳川家康が居城に選んだ自然の要害だ。南を海に接し、東西と北を山に阻まれている。西の焼津市や東の興津に向かうには、山と海岸の僅かな隙間を通るしかない。
その焼津市に向かう僅かな隙間が、大崩海岸だ。現在は大崩海岸の他にも、山を貫通したトンネルがあるが、それは爆破したらしい。
ではゾンビが西から流入して来るには大崩海岸しか残されていない。その大崩を、まだ突破されていないなら、燃えているのは焼津市で、静岡市にはまだゾンビは侵入していないのだろう。兄ちゃんも、まだ無事かもしれない。
そこにテントの中から、偉そうな年配の自衛官が出て来て言った。
「第三歩兵部隊は撤退させる。大崩海岸も上空から爆破だ。航空自衛隊の爆撃機が向かっている」
若い自衛官が応えた。
「時間稼ぎにはなりますが、ゾンビが山越えして来るのは防ぎ切れないのでは…」
「山梨県はゾンビに突破された。甲州街道から、ゾンビの大群が東京都に雪崩れ込むのも時間の問題だ。もう手の打ちようが無い」
偉そうな自衛官は嘆息した。
「最後まで諦めちゃ駄目だ!戦うんだ!」
僕は思わず声を上げた。
自衛官達が、こちらを振り向いて目を瞠る。
「まだ避難していない住民が居たのか…。坊や、お父さんとお母さんは近くに居るのかい?直ぐにこの地区から退去しなさい」
自衛官が近付いて来た。
「お前らが戦わなくても、僕は兄ちゃんと一緒に戦うぞ!」
僕は急いで自転車を出した。後ろから自衛官が追って来たが、それを振り切って静岡駅に急いだ。
静岡駅前に着くと、そこから警察署を目指した。
しかし警察署に入ると、中には人っ子独り居なかった。警察署のロビーで呆然と立ちつくす。兄ちゃん達警察官は何処に消えたのだろう。
外の大通りを自衛隊のトラックが走り抜けた。僕の事を探しに来たのかと思って、思わず身を隠す。
自衛隊のトラックが走り去ると、警察署の外に出た。
そこで警察署の入り口に貼り紙があるのに気付いた。
貼り紙には、逃げ遅れた市民に対して、駅前の葵タワーに避難するよう指示する内容が書かれていた。
警察官は、逃げ遅れた市民と一緒に居るのかもしれない。僕は自転車を漕ぐと、駅前に戻った。
葵タワーとは、数年前に建てられた、高層ビルの事だ。下層は複合施設になっていて、中にはコンビニやレストランもある。食料があるから、避難所としては最適だ。
五分も走ると葵タワーの一階入り口に着いた。しかし入り口には鍵が掛かっていて、中には入れなかった。
「兄ちゃん達、ここに居るのかな…」
胸に抱いた三郎に訊くと、クウ~ンと鳴いた。次の瞬間、西の空に閃光が揺らめき爆音が響いた。
驚いて尻餅を着く。きっと大崩海岸が爆破されたに違いない。空を見上げて阿呆面していると、視界の隅に人影が見えた。 葵タワーの向かえの神社に人が居る。
逃げ遅れた市民かと思った。 しかし良く見ると、何処かで見覚えのある顔をしていた。何度もテレビで見た事のある顔だ。大阪市の橋下市長だった。
ワイシャツを血に染めて、口からは涎を垂らしている。
『山越えして来るのは防ぎ切れない』
自衛官がそう言っていたのを思い出した。
市長が雄叫びを上げた。こちらに向かって来る。
慌てて立ち上がると、葵タワーの入り口を叩いた。
「誰か!開けて!」
しかし誰も呼び掛けには応えない。市長の足音が背後に迫る。僕は抱いていた三郎を放り投げると、背中の竹刀を抜いて構えた。そして市長を正面から見据えて、気合いを入れて叫んだ。
「チェストー!」
市長の喉元に突きを喰らわす。市長はもんどりうって倒れた。
「三郎!逃げるぞ!」
葵タワーの外にある、地下道に続く階段を駆け下りた。しかし、そこで立ち竦んだ。地下道には、数人のゾンビがたむろしていた。 一斉にに襲い掛かって来る。
まず先鋒の中年女のゾンビに面を喰らわす。そして倒れた中年女の脇をすり抜けて、二番手の女子高生ゾンビに突きを喰らわし、三番手と四番手のペアルックの男女のゾンビを、それぞれ胴で払う。そして最後の自衛官のゾンビに延髄蹴りを喰らわした。
倒れたゾンビ達を見下ろし、深く深呼吸する。
突然背後から組み付かれた。市長だ。市長は牙を剥いて僕の首筋に噛みつこうとする。その狂暴な顎を、両手で押しのけながらもがく。
しかし市長は身体を離してくれない。
もう駄目だ…。そう思った瞬間、弾丸が市長のこめかみを貫いた。
崩れ落ちた市長の背後に、拳銃を抜いた兄ちゃんが立っていた。
葵タワーの地下一階の扉が開いていて、数人の警察官が飛び出して来ると、倒れているゾンビ達の頭部を拳銃で打ち抜いてとどめを刺した。
「兄ちゃん…」
「何でお前がここに居るんだ!父さん達と逃げたはずじゃなかったのか?」
「兄ちゃんと一緒に戦いたくて戻って来たんだ!」
そう叫ぶと、僕は兄ちゃんの胸に飛び込んで、大声で泣いた。
後編に続く
ジャパン・オブ・ザ・デッド(後編)
葵タワーには、十人の警察官と、五十人程の逃げ遅れた市民が避難していた。
三階の市立美術館に、皆、不安げな面持ちで集まっていた。
「これからどうするの?」
僕が訊くと兄ちゃんは此方を見据えて応えた。
「それを会議していた所だ。その最中にお前の悲鳴が聴こえた」
会議はどう議論していていたのか、と訊くと兄ちゃんは両目を閉じて少し苦悶の表情をした後、僕を見据えて応えた。
「清水港から船で逃げる算段をしていた。だが清水港までこの人数を安全に移動させる手段が無い」
「静岡駅が近いから、電車で移動する手段も考えたが、電車が駅に停まっているか分からないし、運転出来る人間も居ない」
他の警察官が補足した。
「バスは?ほら、ここから駅前にバスが停まっているのが見えるよ」
僕は窓から、駅北のロータリーを指差した。
「鍵が付いているかどうか…」
兄ちゃんが首を振る。
「良くハリウッドの映画でやる様に、配線を直結してエンジンを掛けられないかな…」
僕は兄ちゃんを見据えて提案してみた。
「次郎、焦る気持ちは判るが、そんなやり方が本当に可能かどうか…」
すると避難していた群集の中の、車椅子に座ったヨボヨボのお爺さんが、命令口調で兄ちゃんに言った。
「少人数で一旦バスに向かうのじゃ。そして鍵が付いておったら、合図をする。合図を確認したら、避難民をバスに向かわせるのじゃ」
あのお爺さんは誰なの?と訊くと、兄ちゃんは、
「署長だ」
と応えた。
「署長?あんなヨボヨボのお爺さんが?」
僕は驚いて飛び上がった。
「御歳百歳。しかしその気功の使い手としての腕を買われて、未だに現役なんだ」
「…気功?」
「気の力で厚さ一メートルの壁をも破壊する能力を持っているんだ」
それを聴いて僕は唖然とした。
「署長の言う通りにしよう。警察官二人でバスに向かい、鍵を確認したら手を振る。鍵が無かったら、そのまま戻って来る。俺とお前で確認しに行こう」
如月と名乗る警察官が兄ちゃんに提案した。
兄ちゃんは暫く勘考した後、「解った」と首を縦に振った。
「兄ちゃんが行くなら、僕も一緒に行く。みんなの役に立ちたいんだ」
しかしその訴えは却下された。
「次郎、お前はここでみんなを守ってくれ。鍵の確認は、如月と俺の二人で行く。手を振ったら、他の警察官達と共に、避難民を護衛してバスまで先導するんだ。出来るな?」
提案は呑んで貰えなかったが、重要な責務を任された僕は頷いた。
兄ちゃんと如月巡査は、リヴォルヴァーに弾丸を補充すると、一階の出入り口からこっそりと表に出た。
なるべく物音を立てない様に。
もしゾンビが近くに居たら、物音に気付いて集まって来てしまう。
そして二人は葵タワーから、小走りにロータリーに向かった。
兄ちゃん達の確認を待っている間、僕は市立美術館のロビーの隅っこに座り込んでいた。
すると避難民の中の、割烹着の中年男性が話し掛けて来た。
訊くと、男性は鰻料理屋の店主だと云う。
「坊やは勇敢だなぁ、その竹刀でゾンビと戦ったのかい?」
鰻屋は僕の背中の竹刀を指差して優しい笑顔をした。
そして懐から出刃包丁を取り出すと、
「俺もいざゾンビに襲われたら、この包丁で戦うつもりだ。今まで何万もの鰻を捌いて来た。ゾンビの奴等も蒲焼きにしてやるさ」
そこに突然、
「手を振ってるぞ。バスに鍵が付いているって合図だ」
と避難民の一人が言った。
「良し、みんなここから出て、バスに向かうのじゃ」
署長の命令で、みなは葵タワーの外に出て、バスに向かった。
辺りにゾンビの気配は無い。
しかし国道一号線を渡って、ロータリーに入った所で咆哮が聴こえた。
ゾンビが近付いて来ている。
避難民の先頭がバスに乗り始めた所で、ゾンビの集団が此方に向かって来るのが見えた。
「俺が殿を務める。坊やは早くみんなをバスに乗せろ」
鰻屋が出刃包丁を抜いて叫んだ。
ゾンビの群れが、全力疾走で此方に向かって来る。
鰻屋は出刃包丁一本で、それに突撃した。
そしてバッタバッタとゾンビを八つ裂きにしていく。
しかしゾンビは次から次へと姿を表し、もはや百体近い大群となって襲いかかって来た。
最後の避難民をバスに乗せると、僕は鰻屋を心配して振り返った。
鰻屋は一騎当千の戦いっぷりで、彼を包囲するゾンビの群れを打ち倒している。
出刃包丁を片手に、その場で旋回して、包囲するゾンビの首を跳ね飛ばしていく。
しかしゾンビは増える一方で、包囲を突破出来ない。
「鰻屋ー!」
僕はバスの窓から叫んだ。
「俺の事はいい、早く逃げろー!!!」
既にゾンビに肩を噛まれながら、鰻屋も叫んだ。
エンジンを掛けて走り出したバスの窓から顔を出して僕は泣いた。そして何度も叫んだ。
「鰻屋ー!鰻屋ー!」
「二郎、諦めろ。もう助けには戻れない」
兄ちゃんが背中から、僕の肩に手を置いて言った。
バスは国道一号線を東に向かった。
しかし鰻屋を殺したゾンビの大群は、全力疾走でしつこく追い掛けて来る。
バスは定員オーバーで、スピードをあまり出せない。
ゾンビの一匹がバスの後部にしがみついて取り憑いた。
リアウインドウ越しに、兄ちゃんがそのゾンビをリヴォルヴァーで撃ち倒す。
それを機に警察官達は、割れたリアウインドウから、迫撃するゾンビ達に一斉掃射を始めた。
次々と倒れていくゾンビの群れ。しかし警察官の一人が叫んだ。
「ゾンビ達の動きがおかしいぞ!」
ゾンビ達は走りながら、お互いの身体を絡め合うと、瞬く間に二本の柱を作った。
そしてその柱の上に胴体を形成する。
そして両腕と頭も。
「奴等、合体しやがった!」
如月巡査が叫んだ。
体長十メートルの巨大合体ゾンビと化した死人の群れは、一歩五メートルの歩幅で、もの凄い勢いで追い掛けて来る。
警察官達がリヴォルヴァーで応戦するが、小さな弾丸程度では歯が立たない。
巨大合体ゾンビの両腕がバスの屋根を掴んだ。
バスが激しく揺れる。
「儂の出番の様じゃな」
署長が静かに言った。
そして車椅子をバスの後部に移動させると、両手を前に突き出して、気を集中し始めた。
署長の身体を紫電の様なオーラが包むのが見て分かった。
巨大合体ゾンビがバスの後部を持ち上げる。
「署長!早く!」
如月巡査が傾くバスの中で、シートにしがみつきながら叫んだ。
その瞬間、署長の両手から紫色の気の球体が放たれ、割れたリアウインドウを通過して、巨大合体ゾンビの腹を貫いた。
崩れ落ちる巨大合体ゾンビ。
バスは後輪を再びアスファルトに戻し、巨大合体ゾンビの両腕を振り払って走り始めた。
リアウインドウから覗くと、巨大合体ゾンビの姿が小さくなっていくのが見えた。
清水港に着くと、警察官達は動く船を探した。ヨットに漁船、それに貨物船にフェリー。手当たりしだいにだ。
バスで待機していた避難民と僕は、まだかまだかと兄ちゃん達が船を見付けて戻るのを心待ちにしていた。
「拙い事になったのう」
港沿いの道路の路肩に停まるバスの、割れたリアウインドウから外を眺めていた署長が呟いた。
その嘆息する署長の視線を追うと、建物の陰に三体の巨大な頭が見えた。巨大合体ゾンビだ。此方に近付いて来る。
「どうしよう…兄ちゃん達に報せないと…!」
僕があたふたしていると、署長が言った。
「安心せい。儂がついておる」
署長は車椅子をバスの外に出せと指示した。僕は車椅子を押して、署長と共にバスの外に出た。
「また気功で退治するのですか」
僕は心強い署長の必殺技に期待を込めて訊いた。
「儂の身体が保つ限りな」
署長はそう言うと、巨大合体ゾンビの頭の一つを見据えた。
三体の巨大合体ゾンビは、まだ此方に気付いていない。
「先手必勝じゃ」
署長が気を両手に集中する。
その時、巨大合体ゾンビの一体が此方に向いた。
気付かれた!
僕は焦りながら、後退りした。
巨大合体ゾンビの一体が、咆哮を上げながら地響きを立てて、此方に猛突進して来る。
署長が気の塊を放った。
距離十メートルの所で、巨大合体ゾンビの身体が木っ端微塵に破裂した。
「やった!署長凄い!!」
僕とバスの避難民は、一斉に歓声を上げた。 しかし署長の息が上がっているのに気付いて、車椅子の背後から覗き込むと、御老体は吐血していた。
「署長!どうしたんです!大丈夫ですか!」
「どうやら儂も年を取り過ぎた。身体が保たんようじゃ…」
署長が吐血しながら咳き込む。そこに残りの二体の巨大合体ゾンビが近付く足音が、地響きとなって聴こえた。もう駄目だ。まだ兄ちゃん達は戻らないし、署長は息も絶え絶えだ。
ここで死ぬのだろうか。いや駄目だ。諦めたら終わりだ。最後まで戦わなければ。
僕は背中に背負った竹刀を抜いた。そして正眼で構えた。
さあ来い。僕が相手をしてやる。
そして突進して来る二体の巨大合体ゾンビに向かって走った。先に向かって来る巨大合体ゾンビの手前でジャンプすると、奴の股間に突きを喰らわせた。しかし奴はビクともしない。僕は着地すると、奴の足に胴を決めようと、竹刀を構えた。
しかし、そこまでだった。僕の身体を、奴の馬鹿でかい右手が掴んだのだ。
身体が持ち上げられる。
絡み付く指を解こうともがくが、奴の握力にはかなわない。奴が僕を眼前に持って行き、口を開いた。食べる気だ。
僕は覚悟を決めた。
父さん母さん、そして優しかった兄ちゃん。今まで育ててくれて、ありがとう。先立つ不幸をお許し下さい。先にあの世で待っています。さようなら。
しかしその瞬間、巨大合体ゾンビの大口に何かが飛び込んで、その頭を破裂させた。
巨大合体ゾンビが崩れ落ちる。僕は強かにアスファルトに叩き付けられて、呻き声を上げた。
フラフラと立ち上がって背後を振り返る。何がゾンビを倒したのだろう。目を細めて遠くを見やると、バスが停まる道路の遥か彼方に、自衛隊の戦車が停まっていた。砲身からは煙りを上げている。
清水駅のロータリーに居た部隊だ。戦車はキャタピラをキュラキュラ鳴らしながら此方に向かって来る。
そして一旦停まると、もう一発砲弾を放った。
三体目の巨大合体ゾンビの身体が爆発する。
僕はその爆風で前のめりに倒れると、そのまま意識を失った。
気付くと船室に居た。警察官達と避難民、それに撤退を余儀なくされた自衛隊部隊は、清水港から大型フェリーに乗り込んだのだと云う。そして操船出来る避難民の一人に我が身を任せて、伊豆諸島に向かっている最中だった。
やがて伊豆諸島の伊豆大島が見えて来た。港にフェリーを碇泊させる。すると港に向かって、人が集まって来るのが見えた。
その中に両親の姿を見付けた僕は、大声を上げて手を振った。
「父さーん!母さーん!」
しかし近付いて来る両親を見止めて、僕は息を呑んだ。
両親の服は血塗れで、口からは涎を垂らしている。
ゾンビ化していた。
両親だけではない。走り寄って来る島民全てがだ。
フェリーにゾンビが飛び乗って来た。
船中は阿鼻叫喚と化した。
終わり
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