smashing! おれたちのだいじなあなた

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smashing! おれたちのだいじなあなた

佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士が働く佐久間イヌネコ病院。そこで週1勤務をしている、大学付属動物病院の理学療法士・伊達雅宗と経理担当である税理士・雲母春己は付き合っている。そして最近、伊達の家に一緒に住み始めたのは伊達の後輩、設楽泰司。雲母さんとオレは仲良しだけど何もありません。 雲母は独立事務所を持たず、各施設を共有できるコワーキングスペースで仕事をする。自宅とオフィスを分けるタイプの雲母にはとても合理的である。今日は少し荷物が嵩むかもとトランクに持ち替えようとしていた雲母に、自分が非番だからと、設楽がサポートを持ちかけたのだ。 「ありがとう設楽くん助かりました。もう少ししたら片付きますから…」 「あ、大丈夫です。何かあったら、オレ後ろに居ますんで」 ありがとう、そう言って雲母はノートPCの画面に向きなおる。まったく手元を見ないで打ち込む完全ブラインドタッチ。ちょっ速。今日の設楽は変わり種の岡山デニムでオーダーされたスーツ。雲母から任されたファイルを一冊一冊チェックしながら、物珍しげに施設の中を見回す。広い空間をパーテーションや観葉植物、書棚などで小分けして個々のスペースで作業出来る。共用できる機器も充実、ちっちゃいコンビニみたいのもあって、なんか高級な大学生協みたいだ。 「…?」 空気に微かな違和感を感じた設楽は、目線だけを動かし辺りを確認する。ここから少し奥まった共用のフリースペース。革張りのソファに深く腰掛け長い脚を組んでいる。見るからに高そうな細身のブリティッシュスタイルのスーツ、シルバーグレーの髪を緩いリーゼントにアレンジした美しい男性。30代くらい…だろうか。眼光は鋭いが怒気や殺気は全くない。設楽は知らない男だ。そいつはずっとこちらを伺っている、しかも臆することなく。 設楽はファイルを手に雲母の隣にイスごと膝行って、確認する振りをして耳打ちした。 「…ずっと男の方がこっち見てるんですが、雲母さんのお知り合いですか?」 「え?見てる…って」 雲母は咄嗟に声を上げた。その男こそ、雲母の元後見人、フリー弁護士・白河夏己だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー コワーキング施設に併設されたカフェスペース。 「先生、お声を掛けてくだされば…」 「…たまたま用事があってな。そしたらハルが見えたから」 「はじめまして。設楽泰司と申します。雲母さんにはいつもお世話になって…」 「…彼が、例の?」 ンフ。雲母は満面の笑みで答えた。白河は少しふて腐れたような視線を設楽に投げると、ぶっきらぼうに手を差し出してきた。 「…よろしく、えっと…シガラキくん」 「あ、しだら、です」 「シガラキくん」 「…あ、はい、シガラキです。シガラキ焼でいいです」 「何丸め込んでるんですか先生。設楽くんだめですよ言うこと全部聞いてちゃ」 なんかこの感じはあれだな知ってるわ、オレの上の兄ちゃんと義理のお父さんのやつ。ああ、わかったオレ「婿」扱いかな。多分、彼氏立ち位置ってのが一番近いんだけど。雲母さんの彼氏の。ややこしわ。 伊達さんはこの白河先生とすごく仲良くやってるみたいだけど、オレはお眼鏡に適ってないって事かな。ま、獣医っても新米で、青二才のヒヨコメッシュだしな。 「設楽くん、僕お腹空いちゃって。お夕飯を食べて帰りましょうか。白河先生、ご一緒にどうですか?」 「…ハルがそんなに言うんなら、行く」 「フフ。先生とご飯久しぶりですね」 「シガラキ」設楽は雲母の荷物を持ち、二人の後についてコワーキングスペースから出た。しかしこの雲母と白河先生。並んで歩くと迫力。180超だし頭身ありえへんし。白河先生どう見ても20代寄り。あ、伊達関係者は全部この法則が成り立つのかもしれない。年取らないやつ。 雲母が案内したのはドイツビールの専門店。レンガ造りを模したこぢんまりとした店内は賑やかで、奥まった席はちょっとした洞窟のような設え。生ビールが最高でソーセージでっかくて外パリ中ジュワ。そこに添えられたザワークラウトは設楽の大好物なのを雲母はちゃんと知っていた。 「…ハルから話は聞いた。シガラキくんは伊達くんと付き合ってるのか?」 「…そういうことになります、かね」 「ハルは、浮気されてるってことになるのか?」 「それは、ちょっと違くて…」 先生は心配性でいらっしゃるから。雲母は酌をしながら少し照れながら笑う。白河の言うことも痛いほどわかる。だが伊達に対する気持ちを「非」なのかと問われれば、自分にとっては「是」。ただこの雲母という存在が、設楽が伊達に対して抱いていた「独占欲」を全く違うものに造り替えてしまった、それは確かだ。視点を変えるだけで簡単に手に入るものもある。望んだ形とは少し違っていたりもするけれど。 人がなんと言おうがこれらは確かに自分自身で選んだ、居場所だ。 「ストレートに言いますと、伊達さんは雲母さんを抱きます。そしてオレはその伊達さんのことを、抱いてます」 「…えっと、シガラキくんに抱かれて、ハルを抱いてるの?あのモノノフ君は?」 「御意」(使い方な) 俺には若いもんの感覚はどうにも理解出来ん。白河はジョッキを一気に飲み干した。雲母はすかさず店員に大ジョッキを追加注文。白河の先手先手を読んで皿を用意したり注文したりする雲母。いやお母さんか。設楽はどうにも笑いがこみ上げてきた。 「白河先生、オレらは雲母さんが大事なんです」 「ん」 「オレは伊達さんと雲母さんを、護っていきたいと思ってます」 それから少しだけ黙り込んだりもしたが、元々明るい酒の白河は、楽しげに冗談を言ったり雲母をからかって叱られたり。端から見ると本当に仲の良いグループに見えたことだろう。 「じゃあ先生、ここは僕にご馳走させていただけませんか?」 「…ハルにご馳走になるの、大学の卒業以来だな」 旧友だった雲母の父・冬矢とその家族が事故で亡くなった際、白河は雲母を後見人として引き取る形になった。小さな頃から見知っていた白河に、雲母はすぐに懐いた。懐いたというより、リハビリ等の治療を終え、病院から白河の自宅に戻ってからは、雲母は白河の身の回りの世話を懸命に頑張ろうとしていた。恩返し、そんな言葉では片付けられないほどの真摯な雲母に、白河は何度も「遠慮をするな」と言い続けた。その都度雲母は言った。 僕がこうしたいだけなんです、先生。 三つ子の魂なんとかって言うけど、お前はほんとに頑なだったな。 会計のために先にレジへと立った雲母の後を、設楽が続く。通路の端から早足でやって来る客とすれ違いざま、設楽は雲母を庇いそっと腕を引き寄せた。あのままだと確かにあの客とぶつかっていたかも知れない。無駄口は利かず、頭より先に身体が動くタイプ。その見極めは大したものだな。そして彼を見初めた伊達、その伊達を受け入れた雲母の選択眼は驚くほどに確かなものだ。 当然だ。ハルはこの俺が育てたんだからな。 「…シダラくん、ハルを頼みます」 「…御意」 「ありがとうございます先生。ちゃんと設楽くんの名前も覚えてくださいましたね」 漸く「シガラキ焼き」からの卒業に、ほ、と溜息を付く設楽。白河は笑って肩を叩く。嬉しそうに微笑む雲母の、ポケットの携帯から響く着メロは「独眼竜政宗」のテーマ。うっわ懐かしっなにかと思ったら。白河が大笑いしている。 「…伊達さん、ええ、今。…はい…」 聞かずともわかる発信源。暫く話し込む雲母に、白河は設楽のヘアスタイルに興味津津。これ中どうなってるやつ?あ、メッシュですね。ヒヨコちゃんメッシュ。ヒョコ…え何て? 「お待たせしました!伊達さんが車で迎えに来て下さるそうです。あと、先生…」 「あハル、俺いいよタクシー拾…」 「明日お休みなんでしたら、伊達さんが家にご招待したいって」 思わず呆ける白河。そして雲母の悪戯っぽい物言いに、設楽が笑いを堪えている。あの家に迎えられて心の身ぐるみ剥がされたら、それこそ取り込まれるんだ。優しいあの世界に。白河先生がコッチ側に入れないのはそりゃ仕方が無いけど、これからもっと腹を割って話せるような気がする。 照れくさがってゴネる白河と腕を組み、雲母が楽しそうにじゃれている。伊達の車が到着するその時まで、先生を逃がさないようにしないとね。雲母と設楽は、白河の腕を両側から抱え込み、その頬に軽くキスをした。
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